N-Log⑤〜本当にメリットだけ?昆虫食〜

どうもFuyaです。第5回、「N-log」のお時間です。

第5回目のN-log。仮に10回で終わるとするなら折り返し地点ですね。

もう今年も残すところ1ヶ月。皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回のNゼミはテーマは食べること、生きることに関わるディベート。

「たんぱく質の需要が将来供給を追い抜くとされるが昆虫食を推奨すべきか」

それではさっそく肯定・否定を見つつ自由に感想を書いていきます。

Nゼミの詳細は例によって第1回を確認していただけると嬉しいです。


・必要に応じて食べることを選ぶと思う(肯定派)

今回は肯定派と若干否定的ではあれど肯定的と言った立場に別れ、完全な否定派は少ない印象でした。

例として提示された題材が「コオロギせんべい」だったこともあるのかもしれませんが、ルックスなどの抵抗が想像していたよりも少なかったのが印象的です。

このサイトを見ても利点が多く、書いてある通り「未来食」と言えるでしょう。

ただ「自分で積極的に食べようとは思わない」という意見が多かったので、次に述べるような状況になれば否定する人も多い問題だと思います。

・食べなければいけない雰囲気にはなって欲しくない(否定派)

「選択肢の中から選んで食べはするだろうけれど、皆が食べていて、どこに行っても食材として並び、選択の余地なく食べなければならない雰囲気になるのは嫌。」

今回注目したのはこの意見。やはりなんの抵抗もなく虫を食べよう!とはなりにくいのが現実だと思います。

ここでは例として昆虫食ですが、やはり新たな価値観にメリットがあり、社会がそれを推奨するようになったとしてもそれに抵抗を覚える人は一定数存在すると思います。

仮に食卓に毎日コオロギの煮付け、コオロギの味噌汁が並び、ご飯にかけるのはコオロギふりかけ、コオロギアイスにコオロギティー(?)…という状況を明日からいきなり受け入れろ、と言われたら難しいと思います。コオロギならまだしも他の昆虫が並んでいたら抵抗ももっと強いでしょう。

しかし緩やかに価値観がアップデートされたらその限りでないとも感じます。時代が進み、徐々に食卓にコオロギのように昆虫食が増えてきたとき、好き嫌いはあれどその時の我々には「それを食べるのはおかしい」という感覚はないかもしれません。我々より下の世代では「コオロギを食べるのの何がおかしいの?」というように感じる人たちも増えてくると言ったことも十分考えられます。

現に今の私たちは「マスクをつけていない人がいる」という状況に違和感を感じつつあります。必要に迫られたとはいえ、緩やかなアップデートによって私たち自身の感覚も大きく変化しているのです。

食文化にせよ、生活に密着した部分に今後は大きな変化が求められるでしょう。もちろん先例も多いように急速な変化は大きく社会を歪ませるでしょう。飼育の容易さから、安易に繁殖業に手を出して生態系を破壊したり、それまでの他の食物を扱う業者に打撃を与えることは想像に難くありません。しかし緩やかな変化であればいつの間にか新たな価値観は虫達のように我々の心の中に巣を作り、棲みついているかも知れませんね。

少々忙しく今回は普段よりも分量が少なめですが、楽しんでいただけたでしょうか。また何か皆さんが考えるきっかけとしてこの記事が作用すれば幸いです。

それではまた次回にお会いしましょう。

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