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読 書 感 想 文 ( 山 本 文 緒 さ ん : 無 人 島 の ふ た り )

久しぶりの読書。
気になっていたふたつの本。
リクエストした本と、予約していた本。
いまのタイミングで読むのがベストであったなあと思いました。

ひとつは、山本文緒さんの「無人島のふたり」。

お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない――。急逝した作家の闘病記。

これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい――。思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。

Amazonから引用

わたしが初めて読んだ山本文緒さんの小説は「パイナップルの彼方」。
その頃は図書館を利用して本を借りて読むという習慣が無く、いつも購入していました。文緒さんの文章はすーっと入ってきて読みやすく、あっという間に読み終えたのを覚えています。
読後の感想はいつも記録しているのですが、ずいぶん前なので文緒さんの本に関する感想は見当たらず。。なので内容までは思い出す事が出来ませんでした。
ですが、パイナップルの彼方ではまり、その後「ブルー、もしくはブルー」「絶対泣かない」「ココナッツ」を読んだ事を覚えています。
文緒さんのお話の中に入ると、夢中になってあっという間に読んでしまいます。読ませる力がある作家さんだと思います。

わたしは山本文緒さんに限らず女性の作家さんで好きな方が多く、ある時は角田光代さんを読みあさり、吉本ばななさんの新刊が出たと気づいたらすぐ携帯にメモして読める時に読み、銀色夏生さんのエッセイや高山なおみさんのエッセイをチェックし、大島真寿美さんや島本理生さん、窪美澄さん、瀬尾まいこさんの新刊も読んでないのいっぱいあるやん、と焦り・・ 恩田陸さんの分厚めの本を突然読みだしたり。と、あちこちいろんな方の本を読んでいたある日、山本文緒さんの訃報を知る事となったのでした。

読み終えて。
あらためて、癌という病気は怖いなと。
そして、文緒さんの作家魂をとても感じる内容だと感じました。
過去作品をまたゆっくりと、たどって読んでゆきたい。そう、思いました。

わたしがこの本を読んでいて心を揺り動かされた箇所をすこし掲載したいと思います。

私の人生は充実したいい人生だった。
58歳没はちょっと早いけど、短い生涯だったというわけではない。私の体力や生まれ持った能力のことを考えたら、ものすごくよくやったほうだと思う。20代で作家になって、この歳まで何とか食べてきたなんてすごすぎる。今の夫との生活は楽しいことばかりで本当に幸せだった。お互いを尊重し合っていい関係だったと思う。
どんなにいい人生もで悪い人生でも、人は等しく死ぬ。それが早いか遅いかだけで一人残らず誰にでも終わりがやってくる。その終わりを、私は過不足ない医療を受け、人に恵まれ、お金の心配もなく迎えることができる。だから今は安らかな気持ちだ・・・、余命を宣告されたら、そういう気持ちになるのかと思っていたが、それは違った。
死にたくない、なんでもするから助けてください、とジタバタするというのとは違うけれど、何もかも達観したアルカイックスマイルなんて浮かべることはできない、そんな簡単に割り切れるかボケ!と神様に言いたい気持ちがする。

ここの箇所を読んで、文緒さんのリアルな心情が語られていて、心が揺り動かされました。
自分も同じ状況になったら絶対そう思うと思う。「簡単に割り切れるかボケ!」と、言いたくなると思います。
あと、文緒さんは20代で作家さんになったんだ・・ とはるかな気持ちになりました。ご本人も言われているけれど、それでずっとやってきたのは確かにすごすぎる。20代の頃、わたし、何してた?みたいな。振り返ると頭が痛いです。
そして、文緒さんの最期を迎えるときに今の旦那さんがいて下さって良かったなんて思いました。この本を読むと、旦那さんがどれだけ文緒さんのことを愛しているかが伝わってきたからです。

夫はたぶん自分の友人知人のほとんど誰にも私の病状について話しておらず、きっと心に溜まっていることがいっぱいあるはずだった。自分の妻が余命4か月でもう出来る治療もないと聞かされたら夫の友達、困ると思うので。突然20フィート超えの大波に襲われ、ふたりで無人島に流されてしまったような、世の中の流れから離れてしまったような我々も、これから少しずつ無人島に親しい人を招待してお別れの挨拶を(心の中で)しようと思っている。

例えがわかりやすすぎて、ふむ・・ となりました。ふたりで無人島に流される。タイトルにもなっている「無人島」という言葉。それはすこし「孤独」とも重なります。無人島に少しずつ親しい人を招待してお別れの挨拶を、という文緒さんの言葉に、文緒さんの人に対する誠実さがにじみ出ていました。

やはり強烈に楽しかった思い出は、小学生の時に近所の山に一人で登って夕焼けを見たとか、家出をして徒歩30分ほどのところにある親戚の家に1週間も泊まりに行ったとかそういうことだった。もちろん友達とふたりきりで初めて喫茶店に入ったとか、自分達だけで予約をして泊まりがけで海水浴に行ったとか健全な思い出もあるのだけれど。
初めて一人で横浜から渋谷までコンサートを観に行ったり、学校をサボって映画を見たり、そういうことが私には笑いが止まらないほど楽しくて生きている実感をつかめた瞬間だった。
そんな私にとって、就職した会社を辞めて専業作家になったり、最初の結婚をあっさり辞めて独身に戻ったり、それらは辛い部分はあるにはあったが内心は「笑いが止まらない」出来事だった。
今の夫は多分私のそういうところを分かってくれていて、私が自由にすることを決して止めたりはしなかった。
東京にマンションがあるのに軽井沢に家を建てるのも面白がってくれたし、東京のマンションを売ったあと私が自分一人用のワンルームを借りると言った時も「へー」と言っただけで驚かなかった。
恐がりで不安がりの私だけれど、何故か半歩普通からはみ出していないと爆発的な喜びを感じないみたいで、思い出すにつけ我ながら不思議だ。

文緒さんが過去を振り返った日の日記の一節。
とても共感しました。
わたしも一人で冒険したような日がいちばんわくわくしていたと記憶しています。
そして、文緒さんの旦那さん、なんて良い方なんだー!みたいな。
自分も本当はこういう「自分がしたいなと思った事をおもしろがってくれる。否定しない」パートナーが欲しいんだよな、と再確認しました。
自分の大事にしたいところを分かってくれる人・・

最後の引用した内容と同じような文章を、ちょうど同じ時期に読んでいたもう1冊・・ 吉川ひなのちゃんの「Dear ママ」の中にも発見しました。それもまた記事に書きたいと思っているのだけど、誰かといる時間も素敵だけど、一人の時間を充実させることって何にも変えられない素敵な時間。だとあらためて思ったり。いまの自分はそこにビビビときました。

山本文緒さんの過去作や、以前から気になっている「自転しながら好転する」をゆっくり読める時間があったらいいなと思いました。

ひなのちゃんの本についても、感想をまた書いてみたいと思います。

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