ユダヤ人精神科医の、極限状態でも幸せになる言葉〜①アウシュヴィッツという教養
日常から遠く離れて
『夜と霧』という本を、10年以上ぶりに読み返しました。
読み返してみてやっと気がつくことができました。この本は名著です。バチバチに名著でした。
以前、物事の本質を捉えるのがとても上手でクレバーな友人と「教養とは何か?」という話になりました。
そのとき友人は
「自分を客観的に見ることができるようになること」
と言っていました。
さすが慧眼です。
歴史や文学、哲学などの人文知、あるいはアート、もちろん自然科学もそうですが、それらを学ぶことは、私たちの知覚の幅を広めてくれます。
「私はこれについてすでに知っている」というものを、別の視点から眺めることを可能にするもの、それが教養です。
例えば、親が「私は栄養を考えて食事をつくっている」と主張しており、実際に1週間の間に多様なレパートリーの献立を用意してくれる家庭で育った場合、子どもは「このような食事が、栄養バランスの取れた食事である」と考えるようになるでしょう。
しかし、ある程度年齢を重ね、健康を意識するようになってから栄養学を学んでみると、意外にも自分が慣れ親しんできた食事だとタンパク質が足りていなかった、ということに気づいたりします。
あるいは、性行為に至る手順について「仲良くなって、告白して、付き合ってから性行為」という順序が正統だという考えをもっている人が、夜這いが行われていた村の人の証言を読むことで、「そうでない順番もあるのだ」と気づくこともあります。
そのようなときに生まれるのが「基準」です。
「1日に必要なタンパク質は、成人男性なら60グラムで、それを摂るために必要な食べ物は何と何である」
「近代的な価値観が浸透していなかった日本では、男女の付き合いは性行為からはじまる(貴族は和歌のやり取りもある)こともあった」
このような「基準」を持つに至ったとき、自身を客観的に見ることができるようになります。
「自分の食事はタンパク質が足りているか、そうでないか」
ということがわかるのは、習慣に任せていた食事を絶対視せず、客観的な基準に当てはめて自分自身を見つめることができたからです。
だから、人生を豊かにするための「基準」を持ち、自分を客観視できるようになること。それがイコール「教養を身につけること」なのだと思います。
この、私のクレバーな友人が見抜いた教養の定義に照らし合わせてみれば、『夜と霧』は、とても深くて有意義な教養を与えてくれる本です。
なぜなら、強制収容所での生活という、現代の日本を生きる私たちの現状から、遥かに隔たったところにある「基準」を知ることができるからです。
「遥かに隔たっている」ということが、とてつもなく重要です。
「基準」がある場所が今の私たちから遠ければ遠いほど、今の私たちの場所の特徴を鮮明にしてくれます。
私たちは、自分がいる場所のことをよくわかっていません。
「今いる場所」のことは、意識的に振り返ってみない限り見えてこないものですし、「日常」とか「生活」の力が強すぎて「意識的に振り返る」ということも、めったにできないからです。
だからこそ、あえて遠くにあるものをこの日常に引っ張ってくることで、私たちの目を開きたい。これがこの文章の企てです。
特に『夜と霧』という人類史上の名著が持つパワーはすごいです。
収容所で行われていたことを知るだけなら、ナチス・ドイツが行った迫害の解説を読めばよいですが、『夜と霧』の著者であり精神科医のV.E フランクル博士は、その想像を絶する体験の最中にも科学的な視点を持つことや心ある存在であることを止めず、収容所という極限状態における人間の精神を詳しく観察し、それを豊かな表現で書き残しています。
そんな『夜と霧』は多くの「教養」を秘めており、それは確実に私たちの「日常」の意味を変えてくれます。
では、まずは収容所の生活が、どれだけ私たちの日常から遠いかを確認していきましょう。
強制収容所という極地
悲惨、悲愴、惨劇・・・この状況を言い表す言葉を見つけることは、とても難しいです。
凄まじい惨劇で、「凄惨」という言葉を思いつきましたが、そのような"言葉"で表現できることではない、と気がつきました。
強制収容所の環境の過酷さは、まず食事に現れます。
パン300gというのは、食パン5枚くらいの量です。カロリーでいうと、食パン1枚が約160kcal、スープ1リットルが約240kcalです。
当時フランクルは30代後半。30~49歳の男性が1日に必要とするカロリーは2700kcalだそうなので、この食事が生命の維持をどれだけ脅かしていたかわかりません。
しかも、強制収容所では一日中労働をさせられているため、必要なカロリーはもっと多くなります。
さらに、フランクル博士は4日間でパン150gしか与えられなかったこともあると記しています。
住環境もとてつもなく劣悪でした。
板の上に直接横向きに寝るのですから、脇腹が大変痛かったことでしょう。それに、寝返りも打てず、隣の人とくっついて、腕の置き場もなく・・・。
もうひとつ、寝る際に首を支える上で重要な「枕」についてはどうだったのでしょうか?
当然枕はなく、代わりに靴を使う人がいましたが、その靴には糞便がついていました。
きっとにおいもしたことでしょうが、あまりに疲れていてもはや気にならないのだそうです。
この描写からさっするに、フランクル博士は腕を頭の方に持ち上げて、それを枕代わりにして寝ていたのでしょう。
きっと、労働で重いものを運ぶなどした腕にたまった疲労物質を取り除いてくれるはずの血流も止まってしまっていたと思います。
私にも先日寝苦しい夜があったのですが、恥ずかしながらその不快感をずっと枕のせいにしていました。
そのときに強制収容所では靴か腕を枕にしていたことを思い出し、「寝苦しくても、それよりはずっとましじゃないか。なんてありがたい」と感謝の気持ちが湧き出しました。
そうしたら、枕のこともあまり気にならなくなりました。
もうひとつ、アウシュヴィッツ意外の住環境も上げておきましょう。
ベルゼンという収容所では「小屋には瘦せ衰えて病気にかかった囚人が、ありとあらゆる状態であふれていたが、百人しか入れない所に千人以上もつめこまれている小屋もあった」(p25)という状況だったそうです。
しかも、体力がなくなった人はその中で横たわったまま排泄をしていた(するしかなかった)のです。
体力も免疫力も衰えた人々が、不衛生な場所に密集しているのですから、いかに病気が流行しやすかったかが思いやられます。彼らはそこで病気に感染する恐怖とも戦っていたのでしょうか。
そのような人間として最低限度の健康を維持することも難しいような生活を送る中で、もし病人であるような印象を与えたら「ガス室」に送り込まれてしまうのです。
柔らかい布団の上で手足を伸ばして眠れるという満ち足りた生活をしている私が、ちょっとのことで文句は言えません。
衣服についても触れておきましょう。
さきほど靴を枕にしていたということを話題にしましたが、その靴も、靴ひもが切れてしまったり穴が開いてしまい、修理することも容易ではありません。
しかも強制収容所では、靴に穴があいているということが、その人の命を奪くかもしれません。靴に穴があいていることによって歩きにくそうにしていると、監視兵から「この人間はもはや労働に不適合である」と見なされ、ガス室に送られてしまうかもしれないからです。
さらに、服もボロボロに破れてしまい、防寒のためには何の役にも立ちません。
その様子を、フランクル博士はユーモアを交えて語っています。
人間とかかしを比較するのは滑稽で何となくのんびりした様子を感じてしまいますが、実際には人間が人間として扱われない凄惨な状況を示しています。
こんなユーモアが言えるのも、フランクル博士がこの世の地獄から生還したあまり、「強く」なりすぎてしまったからなのではないでしょうか?
強すぎる人は幸せではないのかもしれません。
ここまで衣食住に絞って強制収容所の様子をお伝えしましたが、これはほんの一部です。
すべて書いていたら、それだけで本が何冊かできてしまうでしょう。
私の手元にある『夜と霧』の2002年6月発行版には、各強制収容所で行われた、とても人間の所業とは思えないようなナチス・ドイツの親衛隊員や監視兵の悪行が、二段組で67ページにわたって「解説」として記されており、加えて巻末には29ページにわたって積み上げられた死体や命令されて裸で走らされている女性たちの写真が掲載されています。
気になる方は、ぜひ本書を手に取って、実際に読んでみてください。
あるいは、スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』という映画も参考になると思いますので、ぜひ観てみてください。
さて、とても人が健康に生きていく環境ではありえない強制収容所ですが、一体何名もの人が亡くなったのでしょうか?
こちらはフランクル博士によるものではなく、『夜と霧』の出版者によって補われたものです。
ちなみに、強制収容所で亡くなった人の人数にはユダヤ人以外の人も含まれています。
この800万という数字はどういう数字なのでしょうか?
第二次世界大戦の死者数が、約5000万から8000万と推計されています。
とすると、第二次世界大戦の死者の10分の1以上は、ドイツの強制収容所で亡くなっているということです。
もちろん、フランクル博士をはじめ当時の当事者の人々はこの数字を知ることはできませんが、それでも彼らは常に「明日殺されるかもしれない」という恐怖に脅かされていました。
アウシュヴィッツという「教養」
このような惨劇は、今日本で普通に生きている私たちからすれば、実感するのは非常に難しいです。
実感するのが難しいということは、私たちはそれほど恵まれた時代に生きているのだということでもあります。
この記事の最初の章で、教養とは「基準」を持つことなのだという話をしました。
繰り返しになりますが、アウシュヴィッツでの生活は、私たちの今の生活とは遠く隔たっているからこそ、ひとつの極端な「基準」として考えることができます。
もちろん、ここでいう「アウシュヴィッツ」というのは強制収容所の象徴であって、その他の強制収容所でもここまで見てきたような凄惨な出来事があったのですから、「基準」と考えることができます。
重要なのは、私たちがアウシュヴィッツという「基準」を持つことで、今の私たちの生活を、いつもと違った目で見つめなおすことです。
そういうと、「この著者は『夜と霧』の内容を踏まえて"不幸に耐えること"という教訓を引き出そうとしているのだな」と考えるかもしれませんが、そうではありません。
私は『夜と霧』は、「不幸に耐える」という消極的な目的ではなく、むしろ「幸せになること」という積極的な目的を持って読むべきだと考えています。
そういう意味では、「幸せを目標にすると必ず失敗する」というフランクル博士と私の意見は違うかもしれません。でも、私の読み方にもかなり大きな効果があると思っています。
では、どうやって『夜と霧』の内容を「幸せ」に活かすのか。
それは、『夜と霧』の内容を「感謝」につなげるということです。
感謝をすることで、厳しい状況を乗り越える力が生まれ、人生は豊かになります。
感謝とは、強いエネルギーあるいは強い波動です。
もちろん「礼儀」の側面もあるのですが、私は感謝が持つエネルギーの方が本質だと考えています。
感謝の気持ちは、強く、元気に、楽しく、幸せに生きるためのパワーをくれます。
感謝を言葉にすると「ありがとう」。
漢字では「有難う」と書きます。
これは「有ることが難しい」ということ。めたにないということです。
「ありがとう」という言葉には、めったないことを実現してしまうくらいのパワーがあります。
例えば。
納税額日本一の大商人の斎藤一人さんのお弟子さんに、かつて教習所で働いていたものの、上司と馬が合わず、なかなか認めてもらえないという人がいました。
そんなお弟子さんに、斎藤一人さんは
「ありがとうございますって言ってみな」
とアドバイスしました。
でも、その弟子さんは、
「あの人にだけは感謝できない」
と思っていたそうです。
しばらくたって、そのお弟子さんはようやく上司に「ありがとうございます」と言うことができました。
すると、それから上司の態度が一変したそうです。
もっと大きなやりがいのある仕事を任せてくれて、しかも飲みに誘ってくれるようにもなったそう。
私も、寝苦しくて枕に不平不満を感じていたときに、「ここはアウシュヴィッツではないんだ」という事実を思い出し、安らかに布団に横たわっていることに感謝をしたら、とても心穏やかな気持ちになり、眠りにつくことができました。
とんでもなく極端な考え方ですが、アウシュヴィッツの生活と自分の生活を比べたとき、アウシュヴィッツの方を「基準」にすれば、今の自分の生活がどれだけ「有難い」かが身に染みてわかります。
そういう現実に「ありがとう」とかな者できれば、現実を創造するエネルギーが高まり、感謝したいことがたくさん起こるようになります。
苦しいことがあったら、
「アウシュヴィッツに比べたら全然マシだ。アウシュヴィッツに行かなくてよいことに感謝します」
これで行きましょう。
このように知覚を転換し、思考を変えることができるのが、「教養」の実利的な側面なのです。
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