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『"It"と呼ばれた子』の、心の傷と一緒に幸せになる言葉④~「大人」になりたい人への7章

本来大人になるっていうことは、幸せが増えていくということです。
でも今の社会を見ていると、どうやらそうなっていない人が多いらしい。
そういう大人を見て育ったら、「子どものままがいいや」と思うのも、よくわかる話です。

そうはいっても、やっぱり大人になるっていうのはいいもんだと思いたい。

子どもは、人生で出会う様々な問題をひとつひとつクリアすることをとおして、大人になっていくんだと思います。
ただ、今の学校教育というのは、そういった「人生」は脇に置いといて、とりあえず受験に集中しなさい、とやっているわけですから、私たちはきちんと「大人になるためのレッスン」を受けずに育ってきていると言えるのかもしれません。

なら、大人になるためのレッスンをしっかりと消化してきた人の話を聞こう。
というわけで、この文章を書いています。

カリフォルニア州史上最悪と言われた虐待を生き延び、心に傷を抱えながらも、しっかりと大人の階段を登った、デイヴ・ペルザーという人がいます。

そんなデイヴが書いた『これから大人になるきみたちへ』という本があります。
その中から、私たちが幸せな大人になるために必要と思われる言葉を7つピックアップしました。

そして、それぞれの言葉に私が簡単な解説を加えました。

章は全部で7つと多いですが、読みやすくなるようひとつひとつが短くなるようにしました。

軽い気持ちで読みつつ、軽い気持ちで役立ててくれるとうれしいです。


1. 幸せのリスト

 人生。思いっきり楽しみ、ありとあらゆるものを発見すること。好きなことをして、好きな場所に行くこと。精いっぱい生きること。自由を謳歌すること。MTV、CD、けっして電池切れになることのないポータブル
CDプレイヤー。友人。楽しいとき、落ちこむとき、羽目をはずすとき。爆笑につぐ爆笑。たわいもないことに、くすくす、げらげら、げたげた笑って、笑いすぎるあまり鼻からミルクをぶっとふきだして、それがおかしくて、いっそう笑う。ファーストキス、ファーストデート。ときめきと汗と不安が、ごちゃまぜになるような経験。テーマパーク、コンサート、ファストフード、映画を見ながら食べるバター味のポップコーン。バターの脂がズボンにしみこんだって、気にならない。スクリーンに目がくぎづけになっているからだ。映画。アクション映画、ドラマ、ラブコメディ、もういちどアクション映画。
 人生!

p29~30

少し長い引用になってしまってすみません。でも、人生の喜びを表現するリストをつくろうと思ったら、これくらい長くなるものですね。これでもまだ足りないくらいかもしれません。
CDの辺りのくだりなんかは「時代だなぁ」と思いますが、ここに挙げられているステキなことを、あなたは経験しましたか?それらをはじめて経験したときのワクワクとドキドキを覚えていますか?
たったひとつの経験がとても濃くて思い出深いという人もいれば、たくさんの経験ができて幸せという人もいるでしょう。

人生にはこんなにステキなことがありますが、心に「大切なもの」を持っていないと、これらの経験が味もそっけもないものになってしまいます。
その「大切なもの」とは何でしょうか?
それは、「愛」です。
「好きだ」「愛してる」という感覚を持って、人生を生きられる人は幸せです。「今、生きてるなぁ!」と感じて生きるのは、とっても気持ちがいいですよね。

生きていると不幸なこともあるかもしれませんが、そっちの方ばかりを見ていても、おもしろくなんてできません。
だから、このリストのように、自分が幸せに感じることのリストをつくって、それを増やしていく人生にすればいいんだと思います。

2. 問題との付き合い方

 不幸な出来事を消すことができる魔法のつえがあったら、ぼくは即座にそのつえをふるだろう。でも、そんなつえはこの世に存在しない。人生のあらゆる問題には、きみ自身が自力で対処しなくてはならない。

p37~38

問題・・・ありがたくない言葉かもしれませんね。でも、人生には「問題」がつきもの。だから、こう考えてみてはどうでしょうか?
問題を解決するたび、成長する、実力もつく、魅力的になる、その結果幸せになる、と。
でも、自力ではどうしても解決できない問題に出会ったら?
そのときは、「逃げる」という選択もありです。この方法は、あの織田信長も使っていました。
「逃げる」ことが解決になる問題もあります。ただ、その判断は自力でする必要があります。この力は身につけた方が、何かと人生に役立ちます。

3. 自分を悪者にしない。そしてきっぱり生きる

悪いのは自分だと考えたり、他人のために不必要なまでに自分を犠牲にしたりするくせが、きみにはないだろうか? だとしたら、きみの人生がいったいだれのものなのか、よく考えてほしい。

p73

この文章は、世の中には悪い人や、他人を利用することばかり考えている人もいる、という流れで出てくるものです。
悪いことをしているのに、それをあたかもあなたのせいであるような態度を取ったり、言葉に出さずともそういう空気を出す人はいるものです。
そういう人への対処方は、まず第一に「近づかないこと」ですが、すでに周りにそういう人がいる、もしくは過去にそういう人がいたという場合、その人のせいで自信を失ってしまうこともあります。
自信を取り戻したいなら、あなたのことを否定する人がいない環境に身を置きましょう。
相手から肯定されて、相手のことも肯定しているうちに、自分が悪いと考えるくせも、次第になくなっていくことでしょう。
あなたはそのままで大丈夫ですよ。

一方で、こういう考え方も大事です。

 さて、「悪いのはおれじゃない」とか「あたしのせいじゃない。先生があたしを落第させたのよ」とか、うらみがましい口調でいつもいっている、きみと同年代の若者に会ったことはあるだろうか。その責任はだれにあるのだろう? だれになにをされた、もしくはしてもらえなかったというのだろう? うらみがましい若者たちは、いつもぼやいている「実の親じゃなかったんだ・・・・・・最低の学校でね、中退したんだ・・・・・・わたしの小さいころは悲惨だった・・・・・・世の中が悪いんだ・・・・・・ぼく犠牲者なんだよ・・・・・・」

p122

人のせいにするのって、カッコ悪いです。

小学生の頃って、よく教室の誰かが怒られていたじゃないですか(もちろん私も怒られたことはあります)。
あるとき、友達が先生からお叱りのご指導をされていたのですが、そのときその友達が
「なんでおれだけ」
って言っていたんです。

この「なんでおれだけ」という言葉の裏には、「悪いのはオレだけじゃないけどね」って、責任を取らず、先生の注意を他にそらせようという卑怯な心があります。
確かに、悪いことをしようと言いだしたのは他の子なのかもしれません。でも、その子のその行動に加わることを決めたのは、他でもない自分なんですよね。
だったら、いさぎよく自分の行動の結果を認めるべきです。
その方がカッコいいし、いさぎよい姿勢が噂で広がって、それまでよりモテるようになるかもわからない(笑)。
先生が叱ることが間違っていると思うのなら、正面からそう言えばいい。
「なんでおれだけ」は、先生が叱る理由はもっともだと思っているのに、それを認めず、逃げる言葉です。
だから、当時の私は、それを聞いてとてもカッコ悪いと感じました。
まだまだ未熟な私ですが、それ以来、相手が勘違いしているとき以外は、こっちの非をさっさと認めることを心がけるようになりました。
こっちが悪いのなら、さっさと反省をすませてしまって、気分を前向きに切り替えてしまえば、怒られるときにも短くて済みます。

 頭に拳銃をつきつけられ、これをしろあれをしろと命じられないかぎり、きみの行動はすべて、きみ本人が決めたことだ。

p123

私はこういう考え方が好きです。
たまに苦しいこともありますけど、それが「自由」っていうことですからね。
私は自由が大好きなので、自分のことは自分で決めるのが好きです。
あなたはどうですか?

4. 楽しい方を選ぶ。ただし「一手先を読む」

しかし、ささやかな復讐の妄想にふけっているうち、二歳にも満たない息子が法廷にいる姿が目にうかんできた。彼は通路に立って、手錠をはめられた父の運命を見守っている。

p154

これは、大人になり、結婚して、10ヶ月の子どもも出来たデイヴが、母親から虐待された過去の謎を解きたいと思って、その母親に会いに行ったときのことです。

デイヴが母親の家に着くと、そのあまりに荒んだ環境に驚きました。玄関を開けるなりひどい悪臭がして、家の壁はたばこのヤニがこびりついて、まるでべたべたした茶色いシミがついているような汚さ。
その中で彼の母親は、薄汚れて汗臭く、生気もなくどんよりとした姿でみすぼらしいイスに座っていました。
その姿に驚いていると、母親の方から話を切り出しました。
彼女の口からは、過去に彼女がデイヴをナイフで刺したときのことが語られます。「あれはたんなる事故だったのよ」「すべて"あの子"が原因だったのよ。だから母親であるあたしが、どんなかたちであれ、"あの子"をしつけなきゃいけなかったの」。
母親の口からは、自分を正当化する言葉しか出てきません。

その様子を呆然と見ていたデイヴ。しかしだんだんと彼の中に、復讐心という名の黒い雲がむくむくと立ち上ってきました。
かつて自分が受けた苦しみとまったく同じ苦しみを、母親にも味わわせてやる・・・何日も食べ物を与えず、外の世界とのつながりも一切遮断して、人間として生きるのに必要なものをすべて奪うのだ・・・かつて自分がこの人からされたように!

そうしていたぶった末に、死んだら死んだで仕方ない。逮捕されたら?「過去に受けた傷のせいなんです」裁判所で涙ながらに訴えれば、罪も軽くなるかもしれない・・・。

彼は母親の前でこのように考えていました。
こうして憎しみと暴力の衝動に心を乗っ取られそうになったとき、彼の心には愛する息子の姿が浮かんできました。

復讐を遂げた父親を、愛する息子はどのように見るだろうか?
この想像によって、デイヴはハッと我に返ることができました。

さて、聞いていて苦しくなるようなこのお話をした訳があります。
それは、「一手先を読む」ことで、自分の人生の舵を取ることができる、ということを学ぶためです。

私は、基本的に自分が「楽しい」と思えることを選んで生きていけばいいと思っています。
でも、その「楽しい」は、「一手先を考えても楽しい」ものである必要があるのです。

例えば、ここに仕事がキライな人がいるとします。
この人には、仕事に行くか、それともさぼっちゃうか、という二つの選択肢が与えられています。
キライな仕事をさぼれば、その分の時間で、大好きなスタバに行ってのんびりフラペチーノを飲んだり、ネットフリックスで観たい作品を一気見できます。
それなら、そっちを選んだ方が楽しそうですが、ここは「一手先」を読む必要があります。
仕事をさぼったら、何が起こりますか?
まず第一に、この人の会社での信用はガタ落ちです。周りから白い目で見られるようになります。悪ければ、会社をやめさせられるかもしれません。
会社をやめさせられれば、収入が得られませんから、大好きなスタバもネトフリもできなくなります。
そこまで考えたうえで、あなたが取ろうとしている行動は「楽しい」ものですか?ということを判断するということです。

会社に行っていれば、大好きなことをするためのお金もきちんともらえますし、社会的な信用も得られます。仲の良い同僚とも関係が続きます。
それなら、仕事はキライだけど、会社に行った方が「楽しい」のではないでしょうか。

それに、この人にはちゃんととした手続きを踏んで会社を辞める選択肢もあります。でもそっちを選ばないなら、もう仕事を好きになる努力をした方が、どれだけ気持ちがすっきりするかわかりません。

実際、「もうこんな会社やめてやる!」と勢いで辞めてしまって、結局次の会社でもまた同じことで悩んでいるという人もたくさんいます。

なら、行動を起こすのは、自分がやろうとしていることは「一手先」を考えたうえでも楽しいだろうか?と考えてみてからでも遅くはないというか、むしろ一手先を考える時間を設けた方が、トータルでは人生は豊かになりそうです。

デイヴも、その瞬間の感情を満足させるには、復讐を敢行するべきだったのかもしれません。でも、それではあとに残された人が可哀そうだし、自分の人生も終わってしまうと気づけたからこそ、まだ人生のステキな旅を続けられているんですよね。
よかったよかった。

追伸
会社で働いた方が楽しいという例を出しましたが、もちろん、これ以上は自分の心がつぶれてしまいそう、というときには、多少ズルをしてでも休んでいいと思いますよ。できれば正当な手順を踏んだ方がいいですが、まずは自分の安全を守ることです。

また、「自分には失うものはない」と思う人もいるかもしれませんが、一回深呼吸をしたり、好きな音楽を聴いたりしたうえで、本当に失うものがないか、一度考えてみるといいですね。

5. 心の不平不満は無視でいい。案外世の中悪くない。

心のすみからかすかな声が聞こえてきて、世の中がいかにばかげているか、いかに不公平か、いかに冷淡かきみにささやきかけても、無視するように! そのささやきに耳を貸せば貸すほど、きみの心はそれに支配されていく――力や夢や野心や才能をうばわれていくんだ。わかるかな?

p192~193

何でも悪くとるのは、心の健康によくないので、やめた方がいいですよね。
そもそも心というのは、放っておいても不平不満を思いついてしまうところがあります。
特に理由はなく自動的に思い浮かんでいるだけなので、それは無視してもまったく問題はありません。
その方が、すっきり生きることができますよ。

また、世の中って案外うまくできているものです。
あなたが水を使うために近所の川に汲みにいったり、電気を使うために発電機を回したりしなくてよいのは、昔の人がインフラを整備してくれたからです。
そしてそのインフラは昔の人ががんばって働いて納めた税金でつくられていますし、維持されているのは今の人がしっかり働いて税金を納めてくれているおかげです。
雨の中歩いたコンクリートの道も、工事現場の人が暑い中つくってくれたものかもしれませんし、これがなかったら雨で泥がバシャバシャ撥ねて、家に入るときが大変だったかもしれません。

確かに、世の中に悪いところはいくつもあります。それは私も同意します。でも、悪いところ「しか」ないように言うのは、無知をさらけ出しているようなものではないでしょうか。
「物の価値」がわかる人が、豊かな人です。だから、そういう人になるために勉強してみるのはどうでしょう?

6. やめようエネルギーの無駄遣い

 腕を焼かれた事件の直後から、ぼくは自分の苦境をべつの視点から考えるようになった。地下室でひたすら泣きつづけて時間やエネルギーをムダにせずに、その貴重な時間を、母にこんど虐待されたときどう対応するか作戦を練ることにあてるようになったのだ。

p202~203

「腕を焼かれた事件」とありますが、デイヴはある日母親から腕をガスコンロで焼かれるという虐待を受けたのだそうです。
母親の暴力はそれだけで終わらず、なんと「このコンロの上に寝て、"あの子"が焼けるところを私に見せなさい」というとんでもない要求までしてきました。
とても辛い状況ではありますが、そのときデイヴは変わることができたのだそう。それまでは母親の言いなりになっていたのですが、このときばかりは命の危険を感じて、何とか知恵を働かせて、他の家族が帰ってくるまで自分を守り抜くことができたのです。

さて、この前カフェで勉強していたら、近くのテーブル席に2人組のお客さんが来たんですが、その人たちがもうすっごい勢いでグチを言うんです。
もう聞いてればあれがひどいこれがひどいって上司の悪口ばっかり話してるんですけど、お店で大声で悪口を言うその人たちの方がよっぽどひどい(笑)。
職場にいやな上司がいたらストレスがたまるのはわかるんですよ。
でもね、それについて文句やグチ、陰口を言うのは、はっきりいってエネルギーの無駄遣いです。
何で無駄遣いかというと、そういう「つまらない話」をしても、状況はまったく改善しないからです。
それに、グチ・悪口・不平不満を言っている人は、「自分には現実に対処する能力もやる気もありませーん。全部やられるがままです」と宣言しているようなもの。

だったら、「解決策」を考えることにエネルギーを使った方が、気分がよくて幸せですよ。
それに、グチ・悪口・不平不満を言っていては、「解決策」を考える力が湧いてきませんから、そういうことは一切言わないことです。

グチ・悪口・不平不満を言いたくなったときに、代わりに言うとよい言葉を教えますね。
それは「何とかなる」です。
「何とかなる」と言っていれば、解決策も浮かびやすいですから、ぜひやってみてください。

『ドラゴンボール完全版』27巻より

7. まずできることからで大丈夫!

一般的に、すぐ目の前にある解決方法を実行しようとするひとはすくない。ほとんどの人びとは、本気で問題を解決しようとしないままに、複雑な解決方法をさがすことに時間をつかっているのだ。

p205

そうなんですよね。私もたくさん本を読んで「複雑な解決方法」を探して、結局大した解決はできない、ということを繰り返していた時期がありました。
本を読むのはとても大切なことですが、その当時の私は、問題を分析したりしてそれと向き合う前に、立派な本の著者が示してくれるよさげな解決策に逃げていた節があったんです。

繰り返しますが、より幸せな人生を歩もうと思ったら、本は読んだ方がいい。
でも、本よりも大切なのは「現実」です。みんなが今直面している「現実」の中に、すべてのヒントがあります。
だから、現実としっかり向き合って、自分でヒントを探すこと。本を読むのはそれからでも遅くありません。

「自分で見つけた解決方法に自身がない」という人もいると思います。その気持ち、よくわかります。だからこそ、私は本に逃げていました。
でも、本だって私個人に向けて書いてくれているわけではないので、そこに書いてあることで私が直面している現実の問題が解決できるかと言ったら、それはわからないですよね。

むしろ、自身のない、しょぼいかもしれない、自分が考えた解決策を試してみて、ダメだったら次の解決策を考えて・・・ってやった方が、全然早くて楽ですし、自信もつくということがわかったんです。

みなさんにも自信をつけてほしいと思います。そのためには「失敗しても大丈夫」ということを心に念じることです。
この宇宙をつくった神さま目で見ればほとんどのことは「失敗しても大丈夫」ですから、失敗したら、千手観音のようにどんどん「次の手」「次の手」って、新しい解決策を出せばいいのです。
そうやってどんどん次の手を出す人は、それが多少外れていても頼もしいしかっこいいですよ。何もしないよりはよっぽどマシです。

これで、『「大人」になりたい人への7章』を終わります。
こういう考え方ができる人が増えれば、日本は確実によくなると、私は信じています。
もしあなたもそう思ったら、ここで知ったことを、ぜひ他の人にも教えてあげてください。
教えることで理解も深まりますし、良いことをしたら「良いカルマ」ができて、いつかあなたに良いことが起こります。

それでは、あなたに良きことが雪崩のごとく起こることを祈って・・・。

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