草刈りアート
(1538文字)
田んぼや畑はアートだと思う。
やっている人を表す。
良いとか悪いじゃなくて、
一つの視点の話。
僕は、FarmArtistとしてもやっていこうと思っている。
農を通して、美を追求したり、自分の世界観を表現したい。
業ではない部分にも重きをおきたい。
自然農から、農の世界に入った僕。今となっては、故・川口由一さんは芸術家だったと思う。
生前、会いにいくこともできたが
会いにいこうとも思わなかった。
美しさは、人の心を
理由なく癒してくれる。
人の心をキレイに浄化してくれる。
美しいと思う、その人の感性や心が美しいのだ。
普通の農業者からしたら理解されないだろうが、それで良いと思っている。
田畑を1枚のキャンパスとして見たときに、
そこに生えている草たちの様子でその田畑のエネルギー全体を見るのが僕は好きだ。
作物そのものを育てることよりも、自然の営みと人が手を加える加えないの全体の調和感というのかなぁ。
僕の草刈りは、大地の再生の風の草刈りに近いと思う。習ったことがないので習ってみたいと思ってる。
そこに住んでいる命やエネルギーが競合しながら、循環している感じ。
結果として、草は抑えられたりする。雑草としてしまう草花。脇役にしすぎ感はある。
ただ、一つ一つの植物のミクロな生態系やデザインには僕はあんまり関心が向かない。
不耕起栽培で、耕さずに
草や微生物、アリやミミズや、オケラやモグラなどなど、生き物や植物の活動で耕されていくという美しさがある。
トラクターで耕されて、黒いビニールマルチに規則的植えられた野菜たちは、
やはり工業的というか
人為的管理感が強くて
アート性や、美しさを
僕は感じられない。
そんな事だったりを考えながら草刈りをしている。
適当に伸び放題にして
一氣に刈るではなく、
選択して刈ったり、高さを考えたり、不規則性や凹凸を考えたり、色を考えたりして刈っている。
一つの絵みたいなイメージ。
時間もかかるし変化していくんだけど、新緑や紅葉や枯れていく一連の流れが美しいのだ。
輪廻して巡っていく。
巡りであり流れであり
大きな愛だ。
FarmArtistの自覚を持ってからの僕の処女作。
1枚目
2枚目
この畑は隣合わせてる。
(引で2枚合わせて撮ったらよかったな。)
写真ではなく、現場で見てもらうと感覚やエネルギーはまた伝わり方違うとは思う。
草の名前がわかんないけど、
枯れていって赤茶色になってるのと緑との感じが氣持ち良いんだよ
それでいて、イネ科の草を押さえていて、草たちが暴れ放題になってない。
月の満ち欠けに合わせての
草刈りのタイミングも掛け合わせてやりたいんだけど、
そこまでまだ追いつけてない。
田畑では色んな表現ができる。
従来の農業として生産してお金を生み出すという部分にのみ特化していくと、美しさが消えていくように僕には感じられる。
ちなみ、時間帯や天氣、
日が立つにつれての変化がまた面白いのだ。その様子がアート。
絵だったら書いて完成して終わりだが、変化し続けるアート。
ちなみに、1枚目の田んぼは去年は黒大豆をつくっていた。
2枚目は何も育ててない。
どちらの田んぼも、今回の状態になる前に、同じようなスタンスで2〜3回手を加えてる。
どの部分に手を加えるかは僕の判断。
側から見たら、刈ってないように見えるでしょう。
だって、刈ったかどうか非常にわかりづらいから。
僕がそうやってやっているという説明をちゃんと受け取った人じゃないと理解できないし、
したところで理解されなさそう。笑
まぁ、よかよか。
僕は農家として新規就農を目指すから、農家としてもやっていくけど、
業として成り立たせる農と
アートとしての農の
基本原理は陰陽。
そこを統合させるファーマーを目指す。
シン・農民
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