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「鎌倉殿の13人」36回感想【畠山重忠さま、演じた中川大志くんにスタンディングオベーションを】

畠山重忠の乱、もっと燃え尽きてすっからかんになっているかと思いましたが、実際には割とすがすがしく思っています。
という訳で、是非書きたかった第36回感想を。

さて、「鎌倉殿~」第36回は、御存じの通り、「畠山重忠の乱」での重忠さまがすさまじかったです!
所作の美しさも、表情の変化も(「戦など誰がしたいと思うかー!」の一連の表情の変化、見直してみたらすごかった)、北条義時(小四郎)との一騎討ちも殴り合いも、血と泥にまみれてもなお美しい姿も。
という訳で、前回に続きこんなまとめを作った訳ですが。

予想以上に長大なまとめになってしまった(^^;

「大将どうしの、大鎧姿での一騎討→殴り合い」は、史実的には「あり得ない」のでしょうが、「圧倒的な兵力差(後世の桶狭間の戦いよりも差がある)がある中での少数側の戦略」としては、「狙うは大鎧を着た大将の首ただひとつー!」となるのはわかるし(そのために、重忠さまはわざと泰時のいる方に攻めかかって小四郎を大将の陣から引きずり出した)、この時代の一騎討ちが「馬上での飛び道具(弓矢だったり罵詈雑言だったり)の応酬→手持ち得物での闘い→馬から降りての格闘」…というのを知ると、物語としての整合性とはまた別に「あり得たのではないか」と思うのです。

あの一連の場面で見せたかったのは「あの時代の一騎討ち」と「小四郎と重忠さまの言葉なき情のやりとり」
畠山重忠の乱が「小四郎が自ら戦場に出たことが明確な、数少ないいくさ」だからこそ、あそこで「一騎討ち」をやったことに意味があるのではと思うのです。
小四郎と重忠さまのヤンキー映画のような殴り合い、小栗旬さんはまだわかるのですが、アクションものは出来るのに(あの世代にしては)徹底的にヤンキーものから距離をとってきたように見える中川大志くんがきっちり対峙できているのを見て、「大志くん、こんな表情もできるのか、こんな大志くん見たことない」と思ったし、「大志くん、また成長しているよ…!」と、謎の保護者視点が目覚めてしまいました。

「酢げぇ」→「すげぇ」(肝心な実況で、脱力する変換間違いを…)

格闘の最後で、重忠さまが小四郎にとどめを刺さなかったのは、最初からとどめなんて刺す気がなかったから。
前回ラストで「鎌倉のためとは便利な言葉だが、本当にそうだろうか。本当に鎌倉のためを思うなら、あなたの戦う相手は」「あなたは分かっている」と小四郎のメンタルを追い込んだ重忠さまが、ここで小四郎を葬るわけがない。
むしろ、「お前は謀反者扱いされた俺とは違って、徹底的に生きるんだ!そうじゃなきゃ許さない!」と生きることを促しているようにさえ見える。

でも、坂東武者たるもの、戦を仕掛けられたからには徹底的に闘うしかないし、闘う姿を幕府方の御家人や一般兵士に見せることによって、「畠山は冤罪でやられたんだ」という演出にもつながり、(いつぞやの千葉のおじいちゃん「九郎殿(源義経)は強かった」の口癖のように)「畠山殿は強かった」という言い伝えが鎌倉に広がることは必至。
(実際、三浦義村(平六)は「手出し無用!」と取り巻きを制しているし、もし冤罪でなかったならば、重忠さまが小四郎にとどめを刺そうとした局面で、平六の制止を振り切って泰時が飛び出していたかもしれないし、あるいは他の兵士が重忠さまを後ろから刺そうとしたかもしれなかったけれど、誰も動かなかった)

まさに「いくさに負けて勝負で勝つ」
あの光景を、小四郎も泰時も三浦も和田も、決して忘れることはないのです。

前回の静かで穏やかながらもピリピリゾクゾクした語らい、
今回の激しく血と泥にまみれた拳の語らいは、
セットで「大河ドラマ史上に残る名場面」だと思うのです。

あの退場は、「麒麟がくる」明智光秀(十兵衛)のラストにもつながるような感じだったのですが、「麒麟~」は何とも言えない消化不良感が残った(ちゃんと「十兵衛の社会的死」が描いてあれば、もっとスッキリしたのに…とは、今でも思っています)のに対して、重忠さまの退場は「使者登場シーンで「畠山は(あの後)愛甲季隆の矢にかかって討たれました」と明確に表現」「小四郎が、重忠さまの首桶を持って現れる」で「ちゃんと(?)最期を迎えたのだな」と分かったのが、切なかったけれどすがすがしかったのです。
故に、北条時政(時政父)が首桶の中身を実検しようとしなかったのは、上に立つものとしての器がなかったのが明確にわかって、「(現代で例えるならば)自治会長や市町村議会議員レベルならまだしも、国政レベルに出す器じゃないな」と思ったりもしたのです。

ここからは、重忠さまの「個人的萌え」(と言っていいのかな?)ポイント。
・妻・ちえさん(時政父の娘=小四郎の異母妹)との別れ、一番つらい立場になるであろうちえさんに「行ってまいる」と最後の別れをするシーン…「新納慎也さんが「(全成さんの)ラブコメっぽいシーンで、「俺は中川大志だ」と思って演じていた」くらいのラブコメシーンの名手」である大志くんの繊細な魅力がさく裂していましたね!重厚な場面もですが、こういう場面でも見映えがよい!!
※「俺は中川大志だ」のソースが含まれたまとめが、こちら。

「戦など誰がしたいと思うかー!」の重忠さまと和田義盛のシーン、あの言葉と、(和田さんは見てないけれど)哀しさと悔しさと怒りが交互にくるような重忠さまの表情を引き出してくれた和田さんに拍手!
(「腕相撲は…しない」、和田さんが奥州合戦や鎌倉で、何人もの御家人に「腕相撲で勝負しようぜ!」と言ったであろうことが想像できるわ(^^;)

戦の始まりを告げる鏑矢を放つ重忠さまが、本当に美しかった!馬も殺陣もかっこよかったし。

スターダストはガッチガチにアクションできる役者さんが多くて、大志くんがそこに入る余地がないのは分かりますが、アクションでも時代劇的な部分を「売り」にできるのは、強味になるのでは…と思うのです。
格闘の果て、血と泥まみれになって、フラフラと馬で去っていった重忠さまは血泥で汚れていても美しく、むしろさわやかさすらあったのが、いろいろと救いでした。

先週から引き続き、「中川大志くんの大河主演が見たい!」から一歩進んだ「大志くんが大河主演するとしたら、どんな役がいいかな」という話題が、ネット記事でも盛り上がっていて(実際の大志民(大志くんのファン(含む・私)は「大河ファンやライターさんが、ここまで大志くんを推してくれるとは思わなかったよびっくりだよ( ゚Д゚)」なのですよ)、そこそこ長い間大河ドラマを見ている私でさえ見たことがないような展開になっています。
これまでも「大志くん、いつかは大河主演して欲しいなぁ」と思ってはいましたが、大きい声では言いづらい状況だったので、本当に驚いています。
でも、本当に大河ドラマの主演で見たいです!
誰役がいいかなぁは思いつかないのですが、脚本は三谷幸喜さんもいいですが、大志くんがヒロイン相手役だった朝ドラ「なつぞら」の大森寿美男さん(2007年大河「風林火山」好きなのです)もいいなぁ。

とにもかくにも、大志くん、本当にお疲れ様でした。ブラーヴォー!!

今回は、すがすがしいほどに「畠山重忠の乱」の感想しか書いていないや(^^;
他にも見どころはいろいろあったのですが、長くなり過ぎるので、またの機会に。
重忠さまについては、いずれ別記事を立てる予定です(語りきれない!)。
※以前に書いた記事が、こちら。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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