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畠山重忠を知らなかった私が「重忠さま推し」になるまで

今回は、念願?の「畠山重忠語り」をしていきたいと思っております。
史実の重忠公と、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で重忠さま役を演じている中川大志くんとが意図的にごっちゃになるかもしれませんが、おつきあいくださいませ…。
(「鎌倉殿~」鎌倉大河ドラマ館に、重忠さまの「天の川模様の直垂」展示が始まったということは、大志くんはクランクアップしたのですね)

まずは、恥ずかしい告白を。
私は、それなりに日本史好き(日本史だけは成績よかった(逆に苦手だったのは数学と英語))で大河ドラマ好き(全部を見ているわけではないけれど)、某国立大学で歴史学の徒だったのですが(専攻は、日本美術史寄りの社会史)、
…畠山重忠については、全く存じ上げませんでした…。
名前はもとより、馬を担いだ云々の逸話も、全く知りませんでした。源平合戦期はそれなりに知っていると思っていたのに。
私の地元・岩手県は「義経贔屓」が多くて、潜在的に「頼朝嫌い」(「鎌倉殿~」の「全部大泉のせい」的なネタではなく、真剣な意味で)が多い土地柄だからかなぁとも思いましたが、「義経北行伝説」にも畠山重忠さまの名前はあるしなぁ…。
つまり、「私の完全な無知」。
なので、2020年11月の「鎌倉殿~」第一次出演者発表で「畠山重忠役は中川大志くん」と出たときは、「大志くんが!また!大河に!出る!!また!大河での大志くんを見られるのね!!」という感動はありましたが、畠山重忠公については「そうなのかー、知勇兼備の武士の鑑(浅学ながら「武士の鑑」という言葉も知らなかった…)なのかー…大志くんそのまんまじゃん!」程度の感慨でした。
しかし、出演者発表関係のツイートを見て、重忠公が「源平合戦期の武将の中で人気トップクラス」ということを知って、「大志くん、いい役をいただけたなぁ」と思ったのです。

で、放送が始まる少し前から「鎌倉殿~」予習を始めたのですが(普段は、ドラマと史実に敬意を示す意味で(自分が学んできた知識と現在の歴史認識にはタイムラグがあって、認識が違っていることも多々ある)、敢えてノー勉強で視聴に臨んでいる私にしては異例のこと)、そこで畠山重忠公について悪く書かれている史料がほとんどないことを知り、びっくりしたのです。
(歴史上に、時々そういう人は出てきます…武田信玄の弟・典厩信繁とか)
その「持ち上げられ方」もちょっと尋常ではなく(特に「怪力伝説」とか)、改めて「本当に、大志くんはいい役をいただけたのだなぁ」と。
「知勇兼備」「清廉潔白(実際は、後ろ暗いこともやったのだろうけれど)」「(今でいうところの)超イケメン」って、もはや大志くんじゃん!
故に、畠山重忠最期は、鎌倉に大きな傷を残したわけで。

その中で、「大志くん演じる重忠さまは、竹宮惠子先生の「吾妻鏡」(マンガ日本の古典シリーズ)の畠山重忠さまが抜け出してきたようだ」というのを度々目にして、…ずいぶん前ですが、買ってしまいましたよ\(^o^)/
(竹宮先生の「少女マンガ論」(?)の本や、ちょっと前の読売新聞連載インタビューシリーズ「時代の証言者たち」は読んでいましたが、作品をちゃんと読むのはこれが始めてでした)
※当方は、「1980年代終盤~1990年代の少女漫画」「1998年頃~2000年代の週刊少年ジャンプ」を養分の一部として構成されています

中央公論新社(中公文庫)・全3巻(クイズ王の推薦帯つき)。上巻表紙は源頼朝、中巻表紙は源義経、下巻表紙は源実朝

「物語」ではなく、あくまで「記録」である「吾妻鏡」を、どうまとめるのかな…と思いましたが、頼朝の色気が半端なくて、一気に読むことができました。
(漫画に限らず、本を読むスピードは昔から速くて、チビチビ読み進めるよりも一気読みしたいタイプ)

もちろん、畠山重忠さまの色気も半端なかった(*´Д`)
「鎌倉殿~」では飛ばされた「起請文拒否事件(言い方)」のところなんか、特に、特に…!
(このネタで、短編小説書きたい…手垢が付きまくっているのは承知の上ですが)
で、地の文に出てくる「ウーマン・リブ」「革命」という言葉に、「ああ、竹宮先生は二十四年組(昭和24年(1949年)生まれ前後の少女漫画家)なんだなぁ」と実感したのです…。

…いかんいかん、重忠さまから話がそれた。

で、私が思う畠山重忠公の魅力は、
「「武士の鑑」と言われるような生き方(「生きざま」という言葉はあまり使いたくない…)が、族滅した一族を再興させようと周りが思わせるほどに、その死が惜しまれる人間であった」ところ。
この時代に「武士道」なんてなかったでしょうが(あったとしたら「武士道は 族滅する/させることと みつけたり」みたいな?)、のちの世の「武士道」で語られるような理想的な武士の源流が、彼にはあったと思うのです。
「鎌倉殿~」で、北条頼時(後の泰時)が重忠さまに話していた「鎌倉で理想の武士は誰かを考えたら(~中略~)腕っぷし・知略・人を繋ぐ力全てを兼ね備えているのは畠山殿だ(要約)」は、「若さゆえの素朴な崇拝発言」という体でそこらへんを端的に言い表して妙だったなぁ、と。
武士としての知勇にすぐれ(尾ひれのついた逸話が残るほどに)、清廉潔白(時にはそうでないこともあったでしょうが)を貫く胆力があり、自らと一族の名を穢さぬためにあの最期を決断して、一族が軒並みそれについていき、故に名を遺した…
所謂「13人」一族ではない畠山重忠公がここまで名を遺しているのは、(月並みですが)すごいことだと思うのですよ。
そんな重忠公のことを知らなかったのを、今では反省しております…。

重忠公の享年は数え42歳だそうですが、現在の大志くんは24歳。(19980614生まれ)
大志くん、もともと繊細な変化の演技が上手い役者さんで、凛々しさや品の良さはそのままに、雰囲気で色気と年齢を重ねた感じを出しているのがいいなぁと思っているのですが(特に声色!)、「主人公(北条義時(小四郎))にとっての次郎(重忠さま)が「次郎を失うことがトラウマになる」ほどの存在になっている」描写が薄目なのが、現在までの歯がゆいところ。
(大志くんは「実力も華やかさもあるのに、なぜか「素通り」されがち」な部分があるのです…10代の頃から事務所からとても大事にされているのは分かるのですが、NHK以外のドラマや映画でヒット作・話題作になかなか恵まれず、同じ事務所のあの人やあの人に追い抜かれて置いていかれてて、なかなか話題にもあがらなくて、歯がゆくてたまらないよ)
(大志くんのファン(大志民)にいい人・優しい人が多いのが、救いです…気弱発言が多い私ですが、これからもよろしくお願いします)

「鎌倉殿~」の重忠さま最期は、鎌倉にとっても北条にとっても大きな痛手になりそうですが、しかと見届ける所存です!
そして、折があったら、畠山重忠公について、もっと調べたいです!!

最後に、罪滅ぼし?として、地方自治体の畠山重忠公関係のリンクを貼っておきます。(1つ目:横浜市旭区、2つ目:埼玉県深谷市、3つ目:埼玉県比企郡嵐山(らんざん)町)

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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