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田辺映画が見てえ~~~~~

昨今では何かを褒めるとまずステマを疑われるため釈明しますが、ぼくは吉本の企業体質を信用していません。

この前あれがあってあれを内部の自浄作用で引責辞任させていない時点で、従業員なりコメディアンなり利害関係者すべてがあれの存在を認めていて、その後の経営がしれっと(唾棄すべき言葉だ)続けられている。

あれなしではSDGsみのない経営になってしまうと全世界に堂々と表明しているのと同義といえます。何ならあれも事件だと思っていないのではないだろうか?まるであれの功績の集大成であるかのように讃えるみたいな何十年ぶりの舞台みたいな催しまでして、内部で自画自賛した。

またいくつかの(自社の)スポンサー名を冠さない点稼ぎショーも開催していますが、審査員が吉本ばかりであり吉本ばかり優勝する。たまたま最新のそれでは吉本が優勝しなかったけど、結局吉本の息がかかった番組に出させまくるので投資回収は余裕でしょう。在京10局がなんでしたっけ?

このためぼくの中では吉本=エンターテイメントという図式が成り立たない。上記の通りエンターテインメント企業としての前提が崩壊しており、評価に値しないためです。

紹介する理由

それを踏まえた上で今からひとつの文を紹介しますが、紹介するに至った理由は単純に当該文に心を惹かれたため。

次の理由として当該文の筆者は吉本に縁があるっぽいなと思って警戒していたんですが、当該文を書くに至った理由からしても直接的な息はかかってなさそうだと判断できたため(間接的な息はどちゃぼちゃにかかっているでしょうが)ぼくの「例外」と書かれたボックスに分類させていただきました(偉そうな物言いでごめんなさい)。

他にも例外はある。いくつか紹介します。

田辺映画

読んで思ったことは面白いだけじゃなくて、紹介するに至った理由の3つ目でもあるんですが今ぼくの頭が映画脳になっており、この文て映画で表現できるんじゃないか?ということです。

どうやら書籍化もされているようだし、吉本とは書籍から映画化なんていくらでも販路を持っているだろうし(吉本に収益が入ると思うと理想的ではないが)、やろうと思えば余裕でしょう。

映画化するのであれば主役は間違いなく筆者です。基本的に天候は雨であるべきでしょう。

上記文は本来であれば「田辺◯◯の~~環境下における何たら比較論」(下のお名前を知らないので)的な題名にすべきだったといえるほど、見ようによってはちゃんとした論述になっている部分が特徴です。

でもそんな題名なんかにしなくても中身が良すぎるからおそらくたくさんの人々に愛された。SEOに必要な題名の付け方指南書とかを見るにつけうんざりする。

殊SNSにおいてはいわゆるアクティビティを示す数値はアプリゲーにおける射幸心の煽り、成功体験の追随性と同義で、無理やりユーザ内に喚起させたいだけなのでぼくはなくしてしまえと思いっきり言っていますが

そんな言葉も、さらにはそのようなぼくの意見を否定し数字が絶対だと言い張る層をも圧倒的な太陽のような光で消し飛ばして意に介さないほどの文になっている。

ぼくは文を読むまではぼる塾が3人組なんだろうと思っていたが実際は違った。そして、まあねという人が田辺かあんりのどちらかだろうなぐらいの知識しかなかったけど、これからは誰がまあねという人なのかが多分わかる。

それぐらいコンビ相手(たち)への愛に富む文だったし、愛があるからこそそれぞれの光をより際立たせる構造の文が書けたんだろうし文才もおありなのでしょう。うらやましい

筆者はぼる塾として現場から離れていることで色々陰陽思うことがあるっぽいことが書かれているのも特徴。一般的にやりやすい感情移入先は筆者だと思います。だからこそ主役にすべきであると言った。

ぼくの架空の上記文の映画化した際の内容はこうです。産休で普通に生活している筆者が電話でもメッセージアプリでもいいからたまに田辺と会話する。だからたまに3人でいるぼる塾の映像が挿入される。

ここって、演技すると不自然になりそうだから許可が取れたガチの何らかの番組なり舞台映像でいいと思う。逆に主役の演技力がどれだけ求められるのか想像を絶しますが……

最後はもちろん台本無しで筆者の家で家族とぼる塾が一同に会している情景ですね。

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