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コーヒーの湯気と雨

「雨が降ってるのか…」
目覚めた時、なんとなくすぐに分かった。
だってかすかに、アスファルトが濡れている音が遠くで聞こえているから。

「朝から雨か」

今日が休日で良かった。
これが平日、これから仕事といった朝なら、きっとげんなりしたはずだ。
雨の日は、煩わしいことがやたら増える。
着て行く服になやみ。
履いて行く靴を気にかけ。
なにより、傘というまあまあの荷物が一つ増えるから。

「けっこう降ってるな。ほんと休みで良かったな。今日はのんびり家で過ごすか」
そんなことをベッドの中でぼんやりと考える。

こんな日は、先ずはコーヒーだ。
芳ばしい匂いを嗅ぎながら、ポコポコシュという気の抜けた音に静かに耳を傾ける。
それだけで、雨模様の朝がゆっくりと優しく動き出す。

ふと思う。
あんなにも煩わしい雨は、自分が濡れぬというだけで、こうもその姿を変えるのか…
考えてみると、あの映画のワンシーン。あの小説のあの一行。あの曲のあのフレーズ。自分は決して濡れることのない世界の雨は、そのどれもが、いつも悲しいくらいに優しく美しい。
その場面を思い出すと、なんなら今すぐこの雨の中に飛び出してみようか、なんて思ったりするのだ。

そんなことを考えながら窓越しに眺める滲んだ街並みは、どこかまだ半分夢の中みたいだ。
マグカップの頼りない湯気だけが、現実の時の流れを感じさせている。

窓の外、信号機の赤や緑の光が、気ままにその影を黒い歩道に伸ばしている。
ポツリぽつりと色とりどりの傘が揺れる。
眺める分にはどこかキレイでもある。けれど皆あの傘の下では、煩わしい気持ちで歩いているに違いない。
だから今日は、あの思い出の曲でも聴きながら、雨を優しく感じる一日にしよう。
どっちみち近いうちには、自分も傘をさす日が来るのだから。

幸い、雨に似合う曲なら、晴れた日に似合う曲よりずっと知っているし。

もう一杯、コーヒーを淹れることにするか。

そうして、あのずぶ濡れだった情け無いあの日のことを、少しだけ優しい思い出に塗りかえてみよう。

#短編 #小説 #ショートストーリー #エッセイ #雨 #コーヒー #雨の朝

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