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音楽と掃除の相関について

no music , no life
某有名コピーだ。

実際に音楽が無かったとしたら、人生はどうなるのか… おれは知らない。
ただ、自分の人生の中で、音楽が無かった時はない。

それでも若い頃と比べ、それに割く時間はめっきり減ってしまった。
まあ、何かしらの音楽は、いつも身近に流れていたりはする。
でもそれは、聴いているというより、耳に入っていると言った方が正しいように思う。

そんな生活にあって、音楽に集中して向き合える最適な時間がおれにはある。

それはお掃除をしながらの音楽鑑賞。

掃除と音楽の絶妙なマリアージュ、ってやつだ。

毎週末、おれは決まった手順で掃除をする。
ハンディーモップ掛けから始まり、続いて寝室、居間、キッチン、洗面所と順番に掃除機を掛けて行く。その後、トイレ、浴室を念入りに念入りに掃除。
この一連の作業に1時間30分から2時間ほど。
アルバムでいえば2、3枚くらいは十分に聴ける。

このことには、二つの新しいツールが、自分の生活に加わったことが大きく影響をしている。
一つは、Apple Musicのような定額の音楽ストリーミングサービスが始まったこと。
もう一つは、ワイヤレスイヤホンの出現。
この二つの普及が、おれの掃除の時間を劇的に快適にしてくれた。

掃除をしながらの鑑賞は、何よりその音楽に集中出来るのがいい。
その作業もまたリズムカルとなり、思いのほか掃除が捗るといった副次的な効果もある。

掃除の作業そのものは至って平坦だ。頭を使うこともなく、決まった作業を淡々と丁寧にこなして行くだけ。
黙々と作業をこなして行く中で、その作業を飽きさせない効果もまた音楽は担ってくれるのだ。

そんなところも、音楽と掃除の相性の良さを感じさせる。

掃除をしながらの音楽鑑賞の何が良いかって、
先ず、詞の一音一音が頭の中にしっかりと入ってくる。
音の一音一音に意識が集中できるのもいい。

その間も、手は勝手に動いていくれる。

運転中の車の中も音楽を聴くには手頃な時間だが、他に意識を集中しなくてはならない事が多い。
通勤時もまた音楽を聴くには比較的適しているのだけれど、やはり気が散漫になる要素が多いように感じる。

それに比べ、掃除時は本当にいい。
勝手知ったるわが家であり、予想外の要素がほぼ無い。
耳から聴こえて来る音楽に、心置きなく集中することが出来るのだ。
弊害があるとしたら、家人から声を掛けられた時、返事が出来ないくらいなものだ。
それとて、今は一様に諦めてくれており、よっぽどの時は大声を張り上げてくれる。

正直この歳になって、音楽を黙って集中しながら聴くなんてことは出来ないかもしれない。
遠いあの日、デカいヘッドホンで、その音に埋もれる様に音楽を聴いていた頃とは違ってしまった。
膝を抱えて音楽を聴けば、たちどころに腰を痛めてしまうだろう。

大好きなアーティストの新譜が出た時など、その週末の掃除が楽しみになる。
詞の一音一音を理解し、メロディーの一音一音を、そのアレンジやベースライン、聴きどころが満載。
そんなお掃除の時間こそが、今のおれにとって音楽とちゃんと向き合える時間となっているのだ。

そして、その時間を通しお気に入りとなった一曲を、掃除をし終えた後の一服と共に、空を見上げながら聴き返したりするのだ。

おれにとっての掃除は、部屋をキレイにする為と言うよりは、音楽をより良く聴くための行動と言っても過言ではない。

いつしかおれにとって
no music , no 掃除 となったのだった。

#エッセイ #日記 #音楽 #人生 #掃除

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