多様性とプロレス

新日本プロレスはG1 CLIMAXが始まりました。席数を限定しているためか、チケットがなかなか取れないのでネットで観戦しています。今年は秋開催ですが、涼しくなってきたこの季節に反し、試合内容はとても濃く画面からも熱が伝わってきて、今のところ全試合ライブで見ている状況です。

今回のG1は例年の大会と比較してもかなり特別な感情を持っています。新型コロナで影響で半年以上外国人選手が参戦できず、日本人選手中心に大会カードが組まれてきました(その中で帰国せず参戦し続けているザック選手、ゲイブ選手は本当に素晴らしいと思います)
今大会は一部の外国人選手が無事に参戦することになり、単純に嬉しかったことに加え、外国人選手がいることの意味を感じました。コロナで中断していた試合が再スタートした時のことを考えると、カードの組み方に制約が出たり、日本人選手だけで大丈夫かと思ったりしましたが、さすが一流のレスラーたちは新しい価値を生み出し続けていて、今まであまり気にはなりませんでした。ジュニアvsヘビーのカードが多く組まれていたのもその1つだと考えます。

色々な選手がいることで多様性が生み出されます。ビジネスでもダイバーシティと言ったりして注目されているキーワードですが、プロレスにおいても外国人選手がいることで選手層の厚み・対戦カードの拡がりを感じます。
ジュース選手の底抜けの明るい感じやジェフ・コブ選手のアスリート能力、ジェイホワイト選手のインサイドワークとスピード、KENTA選手のコント風のコメント、オスプレイ選手の肉体改造など、日本人選手にないキャラクター、体格、テクニックを久しぶりに感じ、純粋に画面の前で声を上げています。

昭和のプロレスは日本人選手が外国人選手を倒して盛り上がる構図になっていて、これは戦後復興の流れと非常に親和性が高かったと考えます。ガムシャラに働いて欧米列強に負けない経済大国になろうとしたその精神がリングの上に反映され、聴衆を熱狂させていました。
現代においてはこのような国籍や民族による対立構図ではなく、キャラや思想をベースに集まるユニット間の抗争になっており、身体を張ってその意思を体現していく過程がプロレスの面白さの1つです。
また、今年のG1でも30分近い長丁場の試合がありますが、何度も相手の技を受け、倒れてもまた立ち上がっていく姿にファンは自らを投影し、自らの人生の中でプロレスから言葉では説明できない『何か』を見つけています。

最近有名人の方が若くして自らの生命を断つ悲しいニュースが増えています。木村花選手が所属していたTCS(Tokyo Cyber Squad)のスローガンは『みんな違ってみんないい』です。
多様性の中でそれぞれの個性を尊重し、みんながみんなを認め合うそんな社会になることを切に願います。何かに落ち込んだり、ネガティブな気持ちが押しつぶされそうなときはプロレスを見にいきましょう。こんな素敵な世界があるのだと気づくことが出来るかもしれません。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。


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