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君たちはどう生きるかを見て〜2

 別の記事で君たちはどう生きるかを見た感じたことを書きました。他の人の考察を多数見ていると、手塚治虫の火の鳥との関連が結構指摘されているのを見てなるほどと思ったので、追加で書いてみました。鼻の大きなアオサギおじさんは、猿田、お茶の水博士の鼻を思い出させるし、鳥との組み合わせは完全に火の鳥を連想させる設定でもあります。火を操るヒミも火の鳥を連想させる設定でもあります。

 宮崎駿監督と手塚治虫氏との関係は、手塚氏をライバルというか、宮崎駿監督からすると尊敬する漫画家でもありこえるべき存在として捉えていたようです。手塚治虫の新宝島に感銘した経験もありながら、自分のかなから手塚治虫氏の影響をなくしていこうとしていたようであります。手塚治虫の漫画は、現代の人間からすると少しダサいという感じがあり、古い漫画家というイメージでもあります。ただし、火の鳥は、テーマが壮大であり、学生の時に読んだ記憶がありますが、宮崎駿監督の映画とは、一線を隠すというか、別格という漫画かなと感じています。

 自分の作ったジブリ作品のオンパレードの世界をアオサギと一緒に案内させる設定でもあり、手塚漫画のキャラクターを連想させながら、ジブリ作品の世界を旅させているのも、何か意味がありそうでもあります。色々と調べていると、ナウシカの前に、手塚氏とのコラボで、似た異様な世界観のロルフという映画の話があったみたいですが、問題があり実現しなかったとのこと。

自分の中から手塚氏の影響を無くそうとしながら、共同作品の話もあったのであれば、尊敬しつつも越えようとした存在だったのかと思えます。「君たちはどう生きるかという」のは、自伝的な映画であるとのことですが、宮崎監督自体、自分人生は、手塚治虫という存在を常に意識した人生だったということなのだろうかと思います。

アオサギが手塚治虫で、主人公眞人が宮崎監督というのであれば、手塚氏が、宮崎監督を導いてくれた存在ということでもあるのかなと感じました。手塚氏の御子息の眞氏の漢字を使うことで、親子の関係で、子供が親を乗り越えていくような感じかなとも思いました。

手塚氏を意識し、違う作風を作り続けたジブリ作品の世界観を、火の鳥を連想させるアオサギに導かれ冒険し、最後にそのファンタジーの世界を潰して終わりにする。主人公は、アオサギを最後友達といい、アオサギは、ファンタジーの世界は徐々に忘れ去られると残し、あばよと行って別れる。

手塚治虫自体は、60歳1989年に今では若い年代で胃癌でなくなるが、宮崎監督のアニメ映画は、初期のナウシカ、ラピュタぐらいの評価しかないのではと思う。宮崎監督の名前が、徐々に偉大になるのは、トトロぐらいかなと思ったりもする。宮崎監督が常に意識していた、手塚治虫からの評価は、ほとんどもらえていないのではと思う。今回の映画は、自分が常に意識し続けた漫画家手塚治虫に向けた作品だったのかなとも感じている。

いずれにせよ、色々と考えてしまう映画だなと思ってしまう。



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