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子どもの頃からプログラミングを学ぶ意味はあるのか?



Google検索で「子供」「プログラミング」と入力すると‥

Google検索で「子供」「プログラミング」と入力すると、関連検索の筆頭には「意味ない」が表示されます。(2024年11月24日時点)
2020年から小学校でのプログラミング教育が必修化され、民間の子供向けプログラミングスクールも雨後の筍のように増えました。しかし、このGoogleの検索結果をみても「子供の頃からプログラミングを学ぶことには意味がない」と考える人も一定数いるのだと思われます。
そこで、子供向けプログラミング教育に関わるようになって9年の経験をふまえて、「子供がプログラミングを学ぶことに意味はあるのか?」という点について私なりの見解を書いてみたいと思います。

プログラミング言語にも「ネイティブ」はありうるのか?

英語学習の世界では、成長の早い人間の脳には学習に最適な時期があり、それを逃すと言語習得に限界が生じるという説があります。つまり、ネイティブのように英語を習得するには子供の頃(9歳前後)までに英語を学習することが重要だといえます。
では、プログラミング言語にも、同じような限界期はあるのでしょうか?私の個人的な経験からは「ある」と思います。

私は、大学で長く研究員をしていますが、ある時、ふとまわりを見渡してみたら、6名ほどの研究室のメンバーのうち、子供の頃からプログラミングをしていないのは私だけだということに気づいて愕然としたことがあります。子供の頃からコンピューターやプログラミングに親しんでいるメンバーのエピソードをきいていると、たとえば、

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子供の頃にファミリーベーシック(ファミコン用のプログラミング環境)にマシン語をくわせて、どんなマシン語で動くのか検証していた。
(※マシン語は機械語は0や1を並べた形、ビットの組み合わせパターン。ハードウェアに合わせて適切なプログラムを書かないと動きません。)
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・・・というようなものもあり、「子供の頃にファミコンでただ遊んでいただけの私は彼らには永遠に追いつけないのではないか?」と気の遠くなるような気持ちになったことがありました。

もちろん後天的な努力により実用上問題がない程度の領域にまでコンピューターを理解することは可能だと思います。実際、私もそうやって今日までやってきており、そのプロセスは自分自身の大切な財産と感じています。

とはいえ、やはり、小さい頃から学んでいる人との間に埋められない差は存在すると思うので、可能であれば、子供の頃からコンピューターに触れられる環境はあったほうがよいと思うのです。

子供の可能性は無限大

子どもはみんな天才だ」・・・という名言がありますが、日々、子供に教えていると、本当にその通りだと感じさせられることが多いです。
子供の場合には、良い意味で挫折や失敗の経験が少ないこともあってか、やる前からあきらめてしまったり、自分の限界を自分で決めてしまうことが少ないのです。このことは何かを学ぶ上で大きなアドバンテージになります。
私は社会人にもプログラミングを教えていた経験がありますが、子供に教えてみての最大の驚きは、子供たちがとても自由で、その可能性が無限に広がっていくように感じられたことでした。
その意味でも、子供の頃からコンピューターを学ぶことには意味があると私は思います。

子供の頃からプログラミングを学ぶことが無意味になる場合

とはいえ、子供の頃からプログラミングを学ぶことが無意味であったり、逆に悪い結果につながることもあります。
たとえば、意識の高い親御さんが良かれと思ってScratchなどの子供向けビジュアル言語ではなく、Pythonのような本格的なテキスト言語を最初から学ぶように促した結果、プログラミング言語にトラウマができてしまって、成長してもテキスト言語を学ぶことに大きな抵抗感を感じるケースもあります。
逆に、Scratchのようなビジュアル言語に過剰に適応してしまった結果、テキスト言語を学ぶ意欲をもたなくなってしまうケースもあります。
ですので、学びはじめる時期以上に、もっとも重要なのは、

「プログラミングやコンピューターそのものを楽しむこと、好きになること」

ではないかと私は考えています。
そのためには、たとえば、Scratchといった特定のツールに依存するのでもなく、Pythonのようなテキスト言語を上位のものとして特別視するのでもなく、その根底にあるプログラミングの概念やコンピューターサイエンスそのものへの興味を育くみ、楽しめる環境を提供することが大切なのではないでしょうか。





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