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苦手を克服するより、得意技を磨くほうにエネルギーを注ぎ込む

子どものころは、「でいないことをできるようになる」ことが成長だと考えられている。
小さい子どもはできないことが沢山あるからだ。

この、「できないことをできるようになる」というのが厄介で、いつの間にか「苦手なことをできるようになる」に変わってしまうのだ。

学校の勉強を通して、間違えた問題やできなかった問題をできるようになる、ことが大切だと学ぶ。
受験勉強を通して、苦手科目の克服が大切だと学ぶ。
その延長上に、「人生において、苦手なことを克服することが大切である」という感覚になる。

もちろん、その「苦手」の内容によっては、克服しなければいけないこともあるだろう。
しかし、すべての苦手を克服しなければいけないわけではない。

ある程度の年齢になるまで社会生活をしてきた人にとって、苦手なことがあっても生きてこられたという事実と、その年齢になるまでできなかったことを、いまさら克服することにエネルギーを費やす必要があるのかどうか、そこをちゃんと考えたほうがいい。

「苦手なことを克服しなければいけない」という意識があると、苦手なことに意識が行ってしまって、自己嫌悪に陥ったり、劣等感を感じたり、自己肯定感を持てなくなったりする。

また、人生は有限で時間は限られている。
限られた時間とエネルギーを、苦手克服に費やすほうが良いのか、得意なことや好きなことを磨き上げることに費やすほうが良いのか、選択をしたほうが良いのではないか、と考える。

「苦手なことが少ない」のと、「得意なことがある」というのと、どちらのほうが社会貢献できるだろうか。
他者に貢献できているという貢献感や自己有用感が幸せの基礎であるなら、得意技を磨いて、その得意技で役に立つほうが、よっぽど良いと思うのだけれど、どうだろう?
そのほうが、仕事にありつける可能性も高くなると思うのだが。

人は助け合って生きている。
みんなが得意なことで他人を支え、苦手なことは支えられていれば良いのではないだろうか。
ある程度の年齢になったら、自分の得意技を磨くことに意識を向けたほうがいい。
苦手なことは、誰かにやってもらえばいいのだ。

年齢を重ねていくどこかの段階で、「できないことをできるようになる」という意識から、「得意なことを磨き上げる」という意識に替えなければいけない。

得意技があなたを救う。
自分の得意技は何だろう。
得意技を見つけて磨き上げてみよう。

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!