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未知の世界にもすでに先輩はいる

会社を辞めてから一年後、僕は整体とトレーニングの理論と実技を教えてくれる学校に入学した。
その学校は、日本全国に教室を持っている、当時としては大きな規模の学校だった。

僕が通った教室は、立川の繁華街から少し離れたところにある雑居ビルの中にあった。
当時僕が転がり込んでいた嫁さんのアパートからは、自転車で30分程の距離にあった。

エレベーターの中で感じた感覚

登校初日、立川の小さな雑居ビルの小さな小さなエレベーターに乗り込んだ時、ああ、俺はどうしてこんな小さくて汚いエレベーターに乗っているんだろうか、と思い、暗澹たる気分になった。

子どもの頃から頑張って勉強をして、そこそこレベルの高い国立大学に入学して、大学院まで行って、さらには一流企業の関連会社にエンジニアとして入社して、将来を嘱望されるようなところまでやってきたのに。
どうして、僕は今、こんな場末の雑居ビルのエレベーターに乗っているんだろうか。

なんだか、落ちるところまで落ちてしまったような感覚にとらわれた。
そんなことを感じさせるような、小さなエレベーターだったのだ。

ドアの向こうには別世界が広がっていた

しかし、そんな気分は、教室のドアを開けた瞬間に吹き飛んだ。
教室の中は、熱気であふれていたのだ。

整体を学ぶ人たちは、年齢も性別もばらばらだったけれど、みんなとても楽しそうだった。
当時は、「21世紀は癒しの時代だ」と盛んに言われていて、癒しを仕事にしようとする人たちで、教室の中はあふれていたのだ。
みんな、明るく、そして熱心だった。

暗くて汚いのはエレベーターだけだった。

そして、指導してくれる先生方はとても個性的な方々だったが、常識にとらわれない様々な知識を教えてくれた。
ここでの出会いが、僕のこれからの人生に大きな影響を与えたことは間違いはない。

魑魅魍魎が住んでいる闇の世界ではなかった

一流大学を出て、一流企業に就職をする。
いわゆる人生の正解とされるレールを降りた。

それはまるで、大型客船から降りて、大海原に小型ボートで漕ぎ出すような心細さがあった。

海の中には、魑魅魍魎が住んでいて、ひとたび落ちようものなら、採って食われるのではないか、というような怖さがあったのだ。

でも、僕は大型船を降りることにした。
そして、この教室にたどり着いたわけだ。

しかし、ここでの学びの日々は本当に楽しかった。
勉強の内容も、実技も、一緒に学ぶ仲間も、先生方も、みんな楽しかったのだ。

僕にとっては未知の世界だったけれど、そこには先生も先輩もいた。
先人たちが築き上げた、たくさんの理論と記述があった。
僕が知らなかっただけで、ずっと昔から、この仕事をしている人たちがいたのだ。

そう、どんな世界にも、すでにそこで生きている人たちがいる。
未知の世界というのは、ただ自分が知らないだけのことであって、その世界が存在していないということではないのだ。

未知の世界とは自分が知らないだけ

未知の世界というのは、ただ自分が知らないだけのことであって、どんな世界にも必ず先輩がいて、あなたを指導してくれる。

だから、何も心配することはない。
自分が望めば、かならず教えてくれる人がいるのだ。

エレベーターの中で感じた、なんとも言えない感情は、僕の未知の成果に対する不安感の裏返しだったと思う。

大丈夫。
何とかなる。

僕はそう思う。

(つづく)

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!