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僕は、人生の途中まで、いつも誰かと競っているような気になっていた。この感覚は、競争から降りようと思ってからずいぶんと時間が経つ今でも、僕の心の中に湧いてくる。気が付くと、また、競争の只中にいることがある。

いつから競争しているんだろう

いったい、人生のいつごろから、僕は競争しているような気になっているんだろうか?
そう思って自分の人生を振り返ってみると、小学生のころから少しずつ、そういう機会があったように思うけれど、それが顕著になったのは、やっぱり中学時代だと思う。
それまでは、誰かと比較されて、あるいは、比較することで自分の立ち位置を確認する、というような感覚はなかったように思う。
中学に入って、明らかに比較されるようになったと感じる。

それは、高校受験というものを意識するようになったからだ。
「意識する」というより、「意識させられた」と言ったほうが正確か。
僕の場合は、姉と比べらるところから出発しているような気がする。

僕の姉は七つ年上で、双子で、成績が良かった。
父親は、男の子である僕に、姉たちを超えることを望んでいるようだった。
僕にとって、姉の成績が基準になった。
そこからずっと、姉と、そして友人たちと、いつも競わされているような気分で生きてきた。

競争する感覚が染みついてしまった

進学した高校でランク付けられ、さらに大学受験でそのランク付けが強化された。

この、「誰かと比べられて競争させられる感覚」は、僕の中で無意識かつかなり根強く植え付けられることになった。

社会人になれば、収入を比較してランクが決まる。
その競争が嫌になって会社を辞めて、整体師になって独立した。
それでもやっぱり、ライバル店との売り上げや集客数などが気になるようになった。
地域一番店にならなければ意味がない、という経営コンサルは多いし、その言葉を鵜呑みにして、ライバル店と競争することが大切であるという感覚にとらわれるようになった

この、誰かと競争する感覚。
誰かと比較して、自分の立ち位置を確認する感覚は、本当にしつこいのだ。
どこまでも追いかけてくる。

おそらく、同じような感覚を持っている人は多いだろう。
そして、そのことに疑問を持たない人も多いだろう。
この感覚が無いような状態を想像することすらできなくなっている人も多いだろう。
それが、この社会の生きづらさにつながっていると僕は思う。

でも僕は、ある時にようやく気が付いた。
誰かと競争することは、人生の目的ではないんだ。
自分が幸せになること。
大切な人を幸せにすること。
これが人生の目的なんだと。

整体院の経営においても、ライバル店と競争することが目的ではなくて、お客様に健康になってもらうこと。心と身体の辛さを楽にして差し上げることが本来の目的なんだと。
そう思ってから、ライバル店のことは全く意識しなくなった。
他店がどうだろうとそんなことは関係ない。
僕のお店がどうお客様と接するか。
どんな価値を提供できるか。
そのことだけに集中すればいい。
そういう感覚になってから、仕事がとても楽になった。
余計なことを考える必要がなくなったからだ。
それに、そのほうがお客様との関係性が良いし、経営もうまくいくようなったと感じている。

不登校になった次男

僕には子供が4人いる。
一番下の子は小学生。
小学生はとても幸せそうだ。
誰かと競わされることはない。

次男は中学に入ってから不登校になった。
本人も、なんで学校に行けなくなったのか、自分の口では言葉にできない様子。
でも、僕にはなんとなくわかる。
小学生時代は幸せだったのだ。
本人も、小学校は楽しかったのに、と言っている。
それは、誰とも比べられずに、自分のままでいられたんだと思う。
でも、中学に入った途端、空気が一変したんだ。
受験を念頭においているから、他の子と比べられ、興味を持てない勉強でも自ら努力することを求められる。
そんなところになぜ行かなければいけないのか?
彼は納得できないのだろう。

本当に大切なこと

みんながみんな、小学生時代のような感覚で生きて行けばいいと思う。
他人と比較することなく、順位など関係なく、本当に大切なものを追求できるような、そういう感覚。
ライバルは関係ない。
順位は関係ない。
自分が幸せであること。
自分の大切な人が幸せであること。
これが一番大切なことなんだってことがわかっている。
そういう状態で生きて行けばいいんだと思う。

本当に大切なことは、競争に勝つことじゃないんだ。
そのことを忘れないようにしたい。


自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!