「嫌なこともできるようになるのが大人になるということ」について考える
小さな子どもは、嫌なことをやろうとはしない。
嫌なことでも、やらなければいけないことをできるようになることが大人になることである。
とはよく言われることだ。
確かに、人生には嫌なことでもやらなければいけないことは沢山ある。
だからまあ、あながち間違えているとは言えない。
でも、もひとつ深堀しなければいけないような気がする。
その嫌なことをやる理由は何か?
なんでそれををやらなければいけないのか?
それを納得しているかどうかが、とても大切なのではないだろうか。
例えば、「大学に行きたいと思っているけど、受験勉強はやりたくない。」という場合、嫌なこと(受験勉強)の向こう側にやりたいこと(大学に行きたい)がある。
その嫌なことをやる理由が、自分の内側にあるということ。
これはとても大切なこと。
でも、嫌なことをやる理由が無いのに、無理やりやる必要はないよね。
我慢してやる意味がない時は、嫌なことなんてやらなくていい。
なんでそれをやらなければいけないのか。
その先に、自分が欲しいものがあるのか。
それがとても大切なことなんだよね。
そこをよく考える必要がある。
だから、ただ単純に「嫌なことでもやれるようになるのが大人だ」というところで止まっていたのではだめなんだ。
嫌なことなんて、できるなら避けて通りたいと思うのは当たり前。
それでも、どうしても避けて通ることができないなら、そこは頑張るしかない。
受験勉強をしないで、希望の大学に入ることができる方法があるなら、別の方法を選択したって良いってことだよね。
まあ、ルール違反はダメだけどね。
でも、そんな方法はない、ということであれば、受験勉強はやらねばならない。
まあ、たいていの場合、正攻法で正面突破が一番近道であることが多い。
それを避けて、近道を通ろうとすると、落とし穴にはまることになる。
欲しいものがあるなら、嫌なことを避けようとするのではなくて、ちゃんと努力することが大切なんだ。
嫌なこともできるようになる。
というのはそういうことだよね。
その先に欲しいものがあるなら、頑張る。
その先に欲しいものが無いなら、嫌なことをやる必要はない。
当たり前のことなんだけれど、意外と忘れていることがあるんだよね。
人生は、嫌なことばかりじゃない。
仕事だって、嫌なことばかりじゃない。
その先にある欲しいものがちゃんと見えている、ということが大切なんだ。
自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!