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妥協を重ねて行きついた場所

大学院時代にトライアスロンというスポーツに出合って、それに思い切りはまってしまった僕。

修士課程2年間を終わるころには、頭の中はトライアスロンでいっぱいになってしまった。

修士は2年間なので、いよいよ就職ということになるのだけれど、就職するにあたって僕が考えた条件は、①トライアスロンができる。②東京の実家に戻れる。③大学院で学んだことが生かせる。の三つだった。

実家に戻る件については、以前、noteの記事にも書いたけれども、僕は末っ子だけれども長男として育てられていたので、実家に戻らなければいけないと思い込んでいたのだ。

騒音制御をやることになった

僕は、上記の三つの条件を満たす会社に就職した。
それは、日本有数の重工業企業の子会社で、騒音や振動の制御やコンサルティングを行う会社だった。

本当は、いい音を作る仕事がしたかったのだけれども、いい音を作る仕事は、うるさい音を抑える騒音制御に比べると圧倒的に少ないのだ。

いい音も、うるさい音も、音としての物理特性は同じだし、大学院でやっていたことも、固体伝搬音と言って、建物の躯体を伝わる振動が壁などによって音に変換される過程を計算する手法を研究していた。

さらに、大企業の子会社だったこともあって、お給料もそこそこ良かったし、残業も比較的少なく、トライアスロンをやるにはとても条件が良かった。しかも、実家から電車一本で乗り換えなしで通えるとあっては、上記の3条件を完璧に満たしていた。

本当にやりたいことではなかった

ただ、問題は、騒音制御という仕事が、本当にやりたいことではなかったということだ。

僕が当時、本当にやりたいと思っていたことは、やっぱり大学に行くきっかけになった「いい音」を作ること。
そして、もう一つは、大学院時代に出合ってしまったトライアスロンと、それに関連して、トレーニング、コンディショニングといった、人間の健康にかかわること。

先にも書いたように、いい音を作る仕事は非常に特殊で少なく、「出来たらラッキー」という感じで半分はあきらめていた。ただ、当時、僕が就職した会社でもいい音を作る関連の仕事をしていると、会社案内にはそういう記述があった。ただ、実際には非常に稀で、過去に一つか二つ、そういう事例があっただけだった。そういう仕事はほとんど来ない、ということは入社してからわかったことだった。

トレーニングとか、コンディショニングに関して言えば、それまで学んできたことと、まったく違う分野だったので、今更、それがやりたいとは言えなかった。
それは、九州の大学まで行って、さらには大学院まで出してもらった両親に対して、あまりにも申し訳ないことだった。だから、今更、道を変えるということはできない、そう考えたのだ。

つまり、過去に縛られ、夢を捨て、現実的に考えて、消去法で会社を選んだということになる。

当時は、バブル崩壊が始まった頃だったけれども、就職市場はまだまだ売り手市場だったし、求人もたくさんあった。そんな中で、今から振り返ってみれば、安易に就職を決めてしまったという感がある。しかし、当時の僕の感覚としては、様々な条件を加味したうえでの決断だと思っていた。

一番大切なことが抜け落ちていた

就職して8年目にうつ状態に陥って苦しむことになるのだけれど、今から振り返ってみると、4年生の時に大学院進学を決めた時と、大学院を修了して就職先を決めた時に、一番大切なことをないがしろにしていたような気がするのだ。

それは、「いったい自分はどうしたいのか?」「何がやりたいのか?」「どうすれば一番ワクワクするのか?」という、もっとも重要なことをないがしろにしているということだ。

親のことを考え、過去のことを考え、働く条件を考え、趣味のことを考え、いろんな状況を考えるのは悪いことではないけれど、優先順位を間違えてはいけないと思う。

一番大切なのは、「自分がどうしたいのか」「自分はどうありたいのか」という、自分の心に問いかけるということ。そこが、最優先事項だったのではないかと思う。

そこに関しては、なぜかあきらめが良かった(笑)
言葉を変えてみれば、妥協したのだ。

なぜ、あきらめが良かったのかと言えば、過去に父親が僕に向かって言った言葉、「好きなことは2番目にしろ」というのが影響しているのだ。

「好きなことを仕事にすると、好きではいられなくなる。」その言葉が、この妥協を生んでいるんだと思う。この話は、以前noteにも書いた。

妥協を重ねた結果に行きついた場所

親の顔色をうかがい、優秀な姉と比べられることを避け、狭き門をあきらめ、周囲の人の評価を気にして、自分の思いをあきらめ、妥協を繰り返した結果、それまで一度だってやりたいと思ったことはなかった「騒音制御」という仕事をするようになった。

でも、仕事って、そんなもんだろうと当時は思っていた。
それに、初めて経験する仕事はそれなりに楽しかった。トライアスロンも楽しかったので、プライベートは充実していた。そんな状況だったので、仕事に対する疑問はあったものの、それなりに楽しく20代は過ぎていった。

でも、うつ状態に陥った時に、なんで一度もやりたいと思ったことがない「騒音制御」という仕事をやっているのだろうかと思った。

どうして、僕はここにいるんだろう?
どうして、この仕事をしているんだろう?
その事が不思議でならなかった。

(つづく)


自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!