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「好きなもの」のはなし(「弱点」編)

趣味で写真を撮っている二日です。

前回までの自己紹介(だったのかわからない投稿)に続いて、今回は「好きなもの」という存在について自分が考えていることを書いていこうと思います。

今回も雑な論理展開、雑どころか意味がわからない文章になることが十分に予想されるため、温かい目と心で見守って頂けるとありがたいです。

さて、皆さんには、好きなもの、好きなこと、趣味等、「これが好きだ」と「思える」ものはございますか。別に誰かに話す必要はなく、それの大小も問わず、あくまでも「好きだという自覚を持てるものがあるか」という意味です。

おそらく誰でも、好きなものの1つや2つ、程度を問わなければ3つや4つくらいあるのでは無いかと思います。好きな「食べ物」、好きな「場所」、好きな「旅行先」とかもアリですね。あるいは好きな「人」、誰にもバレないように続けている「趣味」のような、人に話すのは少し恥ずかしいような「好きなもの」もあるかもしれないですね。

そんなわけで、おそらくほとんどの人が、初めの問いには「Yes」と答えてくれるのではないかと思います。

では、その好きだと思えるものを、誰かに伝えることはできますか。「私はこれが好きなんだ」と誰かに教えてあげることはできますか。

この問いに関しては、全員が全員「Yes」と答えるということはないと思います。なんとなく恥ずかしいと思う人もいるのではないかと思います。もしくは、この「好き」は誰かに言えるけど、こっちの「好き」は自分だけの秘密にしておきたいという人もいると思います。むしろほとんどの人は後者かもしれませんね。

かく言う私も、秘密にしておきたい「好き」があったりなかったり(それも秘密ということです)しますが、多分今は、以前の私と比べて結構自分の色んな「好き」を誰かに伝えていると思います。前の「自己紹介のはなし(その2)」でも色々好きなものを書いてましたし、また別の場所では、あるアーティストのことを語っていたり、またある場所ではあるアニメについて語っていたりしています。

しかし逆に言うと、以前は今ほど自分の「好き」を誰かに伝えいませんでしたし、周りが既に知ってる私の「好き」についても進んで喋ったりすることは全くしていない時期もあったと思います。要するに、私は自分の「好きなもの」について人に話すのが「好きではなかった」、むしろ「嫌い」だったということです。過去形ですが、正直今でもそう思うこともあります。

なぜ「好き」を話すのが「嫌い」なのかと言うと、「自分の好き」というのは、即ち「自分の弱点」、あえて表現するなら「自分の隙」であると考えているからです。

多分、この「自分の好き=弱点」というのは、なんとなくわかってくれる人もいるのではと思っています。代表的な話を上げるとしたら、子供の頃、だいたい小学生くらいの頃とか(もしかしたらこの年頃に限った話ではないかもしれませんが)に、あなたに「好きな人(ここでは恋愛という意味で)」ができたとします。その「好きな人」が誰かって、周りには内緒にしておきたいし、なんならその「好きな人」本人にもバレたくないと思ったりしませんか。それは、本人にバレて、もしその人が自分のことをなんとも思ってなかったら悲しいとか思ったり、周りにバレたら、事あるごとに変にからかわれたるするかもしれないし、なんなら本人にバラされそうになるかもしれないからだと思います。「好きな人」を知っているか知っていないかで、若干、もしかしたらかなり立場が変わってくると思います。皆さんの記憶の中にも、やけに他人の「好きな人」を把握してて、すごい自慢げに話してマウントを取ってくるような人がいるのではないのでしょか。その人は(自覚があるかどうかはわかりませんが)、自分が優位な立場にいると思っているのでしょう。それは他人の「弱点」を知っているから。

これは何も恋愛の話に限ったことではないと思います。要するに人間は、目の前に人参をぶら下げられた馬のように、「好き」の話題が目の前にあると、良くも悪くもそれに気を取られてしまうのです。まさに「隙」だらけの状況になるわけですが、他人はその「隙」をつくために、誰かの「好き」をチラつかせることがあるのです。誰かを食事に誘う時、その人の「好き」な食べ物が出るお店に誘うと乗ってくれるかもしれない。バイトのシフトを変わってもらうために、今度「好き」なアニメのグッズをプレゼントするからと言うと変わってくれるかもしれない。「『好き』な人をバラされたくなかったら土下座な」なんて低レベルなイジメもあるかもしれない。

誰かの「スキ」を知っていると自分が有利になることが多いという意味で「自分の好き=弱点」となり、人には話さない方がいいと思うようになるわけです。まぁかなり捻くれた発想なのかもせれませんが。赤坂アカさん原作の漫画「かぐや様は告らさせたい」において、「恋愛は好きになった方が負け」という一節があります。ここでは話を恋愛に限定していますが、何かを「好き」になった時点で、ほとんどの人間は、それを好きになる前よりも、大なり小なり立場が低くなってしまうのです。

そんなわけで、私は自分の「好き」を話すが「嫌い」と思うことがあるのです。

ただ、今はそこまでこのような考え方をしているわけではなく、あくまでも「どうして昔は『好き』を話すのが好きじゃなかったのか」を考えた結果出した結論だというだけの話です。

今は「もう一つの『好き』への解釈」の方が気に入っているのですが、それは次の投稿に書きます。

ここまでお付き合い頂いて恐縮ではありますが、また次回もお付き合い頂けると幸いです。

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