Masaharu FUTOYU|太湯雅晴

Masaharu FUTOYU|太湯雅晴

最近の記事

アイダさん

アイダさんは茨城の出身だと言っていた。さいしょ駿河台にある美術予備校に通い、2浪目から池袋の予備校に鞍替えしたと聞いた。当時は別になにも思わなかったんだけど、後になって何割かの免除の奨学金を受けることができたので池袋に来ることにしたのかもなと考えたことがあった。彼女の2浪目のタイミングで、僕の一浪目の浪人生活も始まったのだった。 アイダさんはタバコを嗜む人で、アトリエの外のロビーで多浪たちと賑やかにおしゃべりをしながらタバコを吸う姿をよく見かけた。その頃はタバコの銘柄に詳しく

    • センザキ

      まともに話す機会が一度もなかったので確証はないけれど、現役時代の入試直前講習会を経て4月から引き続き通い始めた池袋の予備校には僕と同い年、且つ同じタイミングで浪人生活を始めたセンザキという男の子がいた。入試直前講習会にいたかどうかは分からないけれど、当時の彼はたぶん、ほとんど初めてと言ってもいいくらいに絵を描き始めた程度の経験値の持ち主だった。 一浪の時のセンザキは、彼と同じクラスのBという、同じく一浪目の男の子と仲良くなり、どちらかと言うとあまり真面目に絵を描かない二人組

      • アオキ

        一浪してから通いはじめた池袋の美術予備校でさいしょに組み入れられたデッサンゼミで一緒だったアオキを君は覚えているだろうか。私たちと同じ一年目の浪人生で、少しだけ背が低くて中学校の先生みたいな顔をしていたあの彼だ。アオキとはじめて知り合うきっかけになったゼミの担任だったイチハシという講師は、私たちに顔が黒い粉で煤けたようになるまで画面を木炭で真黒に塗りつぶさせてから、生徒たち自身で組んだモチーフを描き起こさせた。その作業は白い画面に少しずつ炭を乗せていって描き込んでいく描き方と

        • Maison de ROPPONGI

          六本木アートナイト2023参加作品 2023 木材、LED、ダンボール、ペットボトル、建築資材、模型、ぬいぐるみ、傘、卵、クーラーボックス、割り箸、カツラ、ビーチボール、蜂の巣、菓子やアルコール飲料等のパッケージ、他 Statement六本木に住む小動物や昆虫たちのための家をつくり、東京ミッドタウン敷地内一帯に設置した。 実際に動物たちが住み着いても良いように、内部にテーブル、ベッド、食卓や照明などの家具を備え付け、また全ての家にタイトルを付けた。 宝探し的な感覚で一帯を

          カミカワ

          カミカワは腰の辺りまである髪の毛をいつも三つ編みにして、化粧らしい化粧もしていない上に縁なしのメガネをかけていた。描写ではなく、複雑なマチエールで味のある画面づくりに重点を置いた絵を描いていて、それはまさしく入るべくして入った油絵科といった感じだった。正直言って技術的な意味では上手くはなかったけれど、大らかな性格を反映したスケール感のある絵を描いた。 ぼくと大分から出てきたカミカワは高校3年生時の年明けからはじまる美術予備校が主催する入試直前講習会で同じアトリエになり、その

          ヨシダさん

          大学受験に失敗して最初の年に通った美術予備校の同じ科の中にヨシダさんという同い年の女の子がいて、新学期のつい1ヶ月前まで入試直前講習会でぼくと一緒だった大分から来たカジモトが同じく浪人して、なんとなく話しているうちに女の子同士友だちになったというので、ぼくと青森から来たシラタというこれも同い年と、ヨシミヤという長髪のひとつ年上の男たちとで一緒につるんだ。といっても外での付き合いはカジモトとぼくと家の近かったシラタ以外はまったくなくて、学校内でお互いの絵を見たり自由参加の夜間デ

          斜め向かいの家(2013年3月23日)

          全国苗字辞典とかそういった類いの本で調べてみても掲載されていたことがないほど珍しい私と同じ氏を持つ家が実家の斜め向かいにあって、そこのエイスケという息子が私のひとつ年嵩だったこともあり小学校に上がる前後には一緒に遊んだ。国道へと繋がる抜け道になっていると土地の者なら誰でも知っているがためにそれほど広くない道幅の割に交通量の多い家の前の通りに沿うように作られたドブ川を渡り、畦道の突き当たりのトラックターミナル裏手に堆く積み上げられた廃車の山の中が私たちの主な遊び場だった。ダッシ

          斜め向かいの家(2013年3月23日)

          untitled

          今から25年くらい前の大学時代、年度末とかそんなタイミングだったと思うけど大学のアトリエで製作した作品を自宅に持ち帰る為に同期Aに車を出してもらった事がある。当日は私とその同期ともう1人のB、三人がそれぞれ作品を持ち帰るというプランだった。今考えれば随分と無茶なスケジュールだと思うけど、夕方出発で上野からその当時住んでいた練馬まで行って私を降ろし、Bの部屋がある松戸を経由して車の持ち主である同期Aの実家のある船橋に帰るというルートだった。 その無茶が災したか、不忍通りから大塚

          「明るい未来を観る日」へのお誘い

          銀座数寄屋橋公園内の岡本太郎作「若い時計台」とその前に立っている「明るい未来」の文字を見ましょうという呼びかけです。これは集会ではないし「東京ビエンナーレ」の正式なイベントでもありません。太湯が勝手に告知しているだけで、当日は太湯がひとりで公園内に居ます。 「明るい未来」を見ましょうと銘打って入るものの、気が向けば何かお話しするのもいいですね。貴方のお悩み相談でもいいし雑談でもいいし政治問題について討論を交わすのも有意義かと思います。スポーツは全般詳しくありません。 「明

          「明るい未来を観る日」へのお誘い

          「暖簾ごしの日常。」について

          2021年7月23日から8月8日にかけて「暖簾ごしの日常。」と題した個展を開催した。 展示内容は「今日の明るい未来」から「記念塔シリーズ(Monument series)」を16点、それらの写真を撮影している様子を収めた映像作品を一点、他に「明るい未来」の語の元ネタとなった「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語を考案した大沼勇治氏に取材した際に提供していただいた映像を元に編集した映像作品(震災以前の家業の様子や、震災後の地元の変わり様を収めたモノ。映像の最後に大沼さ

          「暖簾ごしの日常。」について

          「明るい未来のためのプロジェクト」のための前置き、及びステートメント

          2021年7月、銀座数寄屋橋公園内の岡本太郎「若い時計台」前に「明るい未来」の文字を掲げた。それらは「明るい未来のための記念塔 東京、2021(英表記:The Monument for The Bright Future TOKYO / 2021)」の一部であり、「若い時計台」と視覚的に一体化することではじめて記念塔として成立するのだと私は考えた。 SNS上で確認した限り、記念塔の出現は多少の違和感を持って迎えられた。中でも数件の感情的で否定的なコメントは私の目を引いた。

          「明るい未来のためのプロジェクト」のための前置き、及びステートメント