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アオキ

一浪してから通いはじめた池袋の美術予備校でさいしょに組み入れられたデッサンゼミで一緒だったアオキを君は覚えているだろうか。私たちと同じ一年目の浪人生で、少しだけ背が低くて中学校の先生みたいな顔をしていたあの彼だ。アオキとはじめて知り合うきっかけになったゼミの担任だったイチハシという講師は、私たちに顔が黒い粉で煤けたようになるまで画面を木炭で真黒に塗りつぶさせてから、生徒たち自身で組んだモチーフを描き起こさせた。その作業は白い画面に少しずつ炭を乗せていって描き込んでいく描き方とは違って、肉体労働といっても良いような体力勝負のやり方だった。なにしろ白く残したいままの部分にまで刷り込むようにして塗りつぶした炭が乗っているのだから、それを消すだけでも十分に手間のかかる作業だった。それまで絵というものをどのようにして描いていって良いのかよく分かっていなかった私は、そのときばかりはよけいなことを考え込んでいるヒマもなく、ただ、炭を乗せたり消したりしていたものだった。同じモチーフで私たちは合計3枚のデッサンを描き、ゼミの仕上げに倍版の木炭紙を買ってきて、より大きなモチーフを組んでコンクールを行った。そのときの描き方は私とアオキ、それからイソノという2浪目の生徒の肌にあったのかそれぞれ飛躍的な絵の上達を遂げた。そうして、その後の正式なクラス分けでアオキと私とは違うアトリエに入り、なんとなく言葉を交わすこともないままになった。

2・3か月程してアオキが私の名前を口にしているというという話を耳にして、聞けば、ゼミのときのコンクールで私に負けて以来、クラスで呑みにいけば私にだけは負けたくないだとか、学期末毎のコンクールでは互いの順位に一喜一憂したりとか、直接話をすることがなかったからどういうつもりでそういうのかは分からなかったけれど、ライバル視しているということらしかった。しかし当時の私の感想をいえば、彼の絵はいつでも形がヘンだったり堅苦しかったりしたけれど、一貫した描き込みに対する執念は、再び描き方に迷いはじめていた私などとうに置き去りにしていた。

そうして彼は執念の固まりみたいにして堅苦しい絵を描き続け、その年にムサビに合格して行った。その後の私はさらに迷走の深度を深め、数年後に、結果的にほとんど通いもしなかった大学に入学した。そうして知ったのは、私にはアオキと同じことしかできなかったということだ。

いつだったか、執着しなくなるのは良いことだと君がいったのを不思議な気持ちで聞いた。その頃の私は多分、執着と執念のふたつを混同して考えていた。無我の境地で画材を握れば仙厓義梵のごとき肩の力の抜けたものが描けるようになるのかと思った。
執着を、目的を見失った手段と看做すならば君のいうこともあながち間違いじゃないんだろう。執念と混同していたからでもあるけど、浪人生だったその当時私が考えていたのは、執着とは常に自分に必要なものを手に入れんがために抱く感情なのだということだ。アオキを知っていたのはその一年間だけで、今どこでなにをやっているかなんて全く知らない。でも、君がどんなつもりでそんなことをいったのかは知らないけれど、それ以来ときどきアオキのことを思い出す。

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