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「明るい未来のためのプロジェクト」のための前置き、及びステートメント

2021年7月、銀座数寄屋橋公園内の岡本太郎「若い時計台」前に「明るい未来」の文字を掲げた。それらは「明るい未来のための記念塔  東京、2021(英表記:The Monument for The Bright Future TOKYO / 2021)」の一部であり、「若い時計台」と視覚的に一体化することではじめて記念塔として成立するのだと私は考えた。

SNS上で確認した限り、記念塔の出現は多少の違和感を持って迎えられた。中でも数件の感情的で否定的なコメントは私の目を引いた。それらを書いた人たちは「若い時計台」の造形的特徴に魅力を感じていたり思い出の風景としてそれらを見ている様で、それを邪魔するかたちで前面に聳え立つ「明るい未来」の文字は彼らの反感を招いたらしかった。私の考えでは岡本太郎の思想を援用した今回のプロジェクトは、その思想を体現した時計台を舞台にする事で初めて成立するのであり、また設置から55年が経って街の風景に馴染んでしまったパブリックアートに違和感を付加することで、その思想をもう一度取り戻そうとする試みでもあった。

今回のこの記事は上記コンセプトを明確にする目的で用意したものであり、また、先日開催した個展「暖簾ごしの日常。(2021年7月23日-8月8日)」会場にも掲げた以下テキスト「前置き、及びステートメント」と東京ビエンナーレのweb site内のステートメントによって数寄屋橋公園内の記念塔プロジェクトを補完できるものと考えている。
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話は10年前の、いわゆる311から始まる。

震災当日横浜にいた私は、尋常ではない建物の揺れに驚いて作業中のスタジオを飛び出した。更に強まる振動に危険を感じて近所の大きな十字路に出ると、車道と、その奥の建物と目の前の電信柱のそれぞれが漂流物のようにゆらりゆらりと漂っていて、その様子を目の当たりにしながら世界の終わりを感じた。夕方、県道218号を西に向かって帰路を急ぐ人たちの姿は「日常」のパラダイムシフトを予感させるものだった。

関係者がオリンピック誘致騒ぎに湧いていた2013年頃、開催決定までを含む一連のニュースには興味がなかった。永く居住しているとは言え、東京は生まれ育った土地ではないし、オリンピックにも特別な思い入れのない私にとってそれらは全く他人事だった。同時期、それらの話題を余所に震災とそれに起因する福島第一原子力発電所事故をモチーフに展覧会に出品するための作品のプランを練っていた。その際注目したのは、原発の立地する福島県双葉町に掲げられていた「原子力 明るい未来の エネルギー」という標語看板だった。横浜に居ながらにしてこの標語の記事をニュースサイトで見かけた私には、ニュースの存在自体が福島と関東の微妙な距離感を捉えているように感じられ、だから被災地への積極的な取材は行わず、ニュースの情報のみに着想を得てネオン管で製作した標語を電気の力で光らせた。その光は、電力を供給していた電力会社とその事実に無自覚なまま状況を享受していた私の共犯関係を表していた。

私がオリンピックに興味を持ち始めたのは、世間がそれに「復興」の枕詞を付して呼称している事に気が付いた2015、6年頃だった。熱心にではないにしろ、震災とそれに関連する事故のニュースを追い続けていた私の目にでさえ、二つの単語の関連付けは安直に感じられた。復興五輪のニュースは世間を浮かれた空気感で包み込み、震災のニュースを急速に押し退けていくようだった。その頃、不定期に出講していた勤務先から解体中の国立競技場を見下ろす事ができた。一度更地になって、その後出向く度に建造物が増殖していった。我々がその中で過ごし生活していた風景は砂上の楼閣に過ぎなかったという陳腐な言い回しを思い付くくらいに、震災以降の「日常」が脆い足場の上に建てられている事を実感し始めていた。その足場の上に更に別の足場を組み上げて、オリンピックというレイヤーが「日常」に加わったのだと感じていた。「今日の明るい未来」という写真シリーズでは、そうした「日常」に「明るい未来」のキャプションを貼付する事でヴェールの裏に隠れた足場を晒そうと考えていたのだった。

言うまでもなく「明るい未来」の語は先に紹介した原発標語から本歌取りしている。この標語は1987年当時に小学校6年生だった少年が考案し、町のコンクールに入賞した後に国道6号線から双葉駅に向かう通りの入口にしつらえられ、町に入る人々を長らく出迎えた。

2020年初頭以降、「日常」は更に一変した。それは今も刻々と変化している。
変化し続ける「日常」の中で、私にできるのは、私の分かる範囲で世界を理解し、社会を覆う硬直した空気感を打ち壊し、まだ見ぬ「明るい未来」を迎えるきっかけを用意する事だ。
それが私の独りよがりでなく、他の誰かにも共有し得るものであれば良いと思う。

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