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今日のじぶんをたのしむ。

いつもよりも朝遅くに起きる。
起きる時間を決めていたわけではなく、起床時間を朝のじぶんにまかせたら、8時をまわっていた。おそらく7時間以上は寝ていたことになる。そのおかげで、すこしだけ頭がスッキリしているような気がする。いつも早く起きていて、今日も早く起きようと思っていたけれど起きれなかったみたいな日は、罪悪感のようなものを勝手にかんじて少しどんよりとした気持ちになることもある。けれど、今日はなぜだか爽やかな気分だった。
「早起きは三文の徳」という言葉がある。朝早く起きることで昔から得ることができるものがあったのだろう。「得」ではなく「徳」だからこそ、「三文」というお金の価値に匹敵するものを「早起き」で得ることができるようだ。ちなみにここでの「徳」とは、あの新明解国語辞典によると「よい結果」のことをいうらしい。

なるほど。しかし、よい結果とはなんだろうか。よいわるいなんてものこそ、一概に判断できないぞと思う。そこで、よいわるいはおいといて、少しだけ早起きを続けている(今日をのぞいて)ことでわたしが感じたことを一度思い出してみることにする。
まず、早く起きることで感じられる早朝の雰囲気がわたしは好きだ。これから1日が始まるという感じがいい。まだ、世の中の多く人は起きていなくて、けれどじぶんはこうして起きている。優越感のようなものもあるのかもしれない。
また、会社へ行く日の朝は忙しいけれど、早く起きることで余裕をもって過ごすことができる。ジムにいくこともできるし、朝にブログを毎日書いている。今日は昼に書いている。
つまり、朝やることで、他の時間に他のことをすることができる。これがめちゃくちゃ当たり前のことだけれど、意外と忘れてしまうから不思議だ。じぶんの1日も他人の1日も時間で比べればまったく一緒のはずなのに、どれだけ起きているかで変わってくる。それがわたしの場合は早起きから始まるのだ。
もちろん、夜遅くまで活動できる人もいると思う。けれど、夜活動しようとすると、基本的に眠気に耐えながらになるため、じぶんには向いていないと思っている。
そういう意味では、じぶんにとっての早起きは、1日を有意義に使うために、とても大切な習慣のように感じる。
さて、そんな習慣も今日は忘れて、ゆっくりの時間に起きた。今日は今日のじぶんを楽しむのだ。と言い聞かせて、やりたいことに集中しようと思う。

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