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「安心したい」と「もっと頑張れ」の内的融和(2023年6月20日時点の「私」の傾向性)

ここ数日、自分の身体に優しい眼差しを向けられない自分がいました

「ああ、これはなんかあるなあ」という自分の中の滞りには気づいていました

怒り、焦り、不安

そういったもののような、でもそういった言葉では的確に表せられない何か

そんな何かを掴もうとしていましたが、どうも深めきれず、毎月通っている心理学系の講座の仲間に話を聞いてもらいました

仕事に対する苛立ち

目上に対する苛立ち

私は仕事の中で、別にしなくてもいいことを必死に拾いに行っては、自ら苦しくなる傾向がある

その傾向性には頭のどこかで気づいていて、指摘された時も「ほんとそうなんですよ!無駄なんですよ!」ときっぱり言えるほど

けど、それだけでは治らない何かが自分の中にある

その仕事の状況、そして人間関係にどうしても引っ張られていくネガティブな感情的なつながりを感じる

だからもっともっと、身体と心に潜る必要があると思いました

そうして他者の支援もある中で潜っていった結果

出てきた言葉は、「安心したい・・・」でした

そうか、おれは、安心したかったのか

安心するために、頑張らないといけない

心休まる場所を作るためには、守るためには、周りを笑顔にするためには、おれが必死に頑張らないといけない

私は、自分が生まれ育ったどこか心休まらない家庭と、悲惨なほどにうまくいっていない事業を、どこかで重ねていたのかもしれません

そしてそんな事業の中で不幸そうで不機嫌そうなメンバーがいると、頼まれてもないのに仲裁をしようとしたり、駆け回って事業を良くしようと直走る

その姿は、両親の関係を取り持つ私の過去の姿、家族のために何かできないかと頑張る自分自身と重なりました

そういった状況に巻き込まれると、私は感情の渦に巻き込まれ、インナーアダルトが暴走します

「もっと頑張らないと」「もっともっと」と

昔は感情の渦に巻き込まれていることにすら気づけませんでした。しかし今は気づけます

そんな状況で自己犠牲的に頑張ったところで、自分も苦しめるだけですし、そこにいる人も私に対して依存するだけです

いや何より、私はこの方法で一度も真に心が安心したことなどないのです。それは家庭でも、事業でも

「安心したい・・・」

そう叫ぶインナーチャイルドに安心を与えられるのは私自身だけなのです

それは、過去の統合経験からもう気づいています

だからもうやれると思います

私は十分に、自分の中のインナーチャイルドとは仲良くなれている

だから今回はインナーチャイルドと出会った時も特に涙なく、自然と出会えました

「安心したい」「そうか、おれは、安心したいのか」

否定なく、受け入れる形でインナーチャイルドに出会いました

「安心したい」という言葉は、ごくごく自然に私の中から発せられました

インナーアダルトは「安心したい・・・」と叫ぶインナーチャイルドに対して、「だったらもっと頑張れ!」と抑圧し、虐げていたわけです

でも、別に頑張らなくても、そのままの自分を自分自身で受け入れることはできるのです

そして「安心したい・・・」と願うインナーチャイルドを抑圧するのでなく、むしろその安全の場を作っていくために、私自身はインナーアダルトを活用できます

その、インナーチャイルドでもなく、インナーアダルトでもない、双方の立場に立って融和できるもう一つの「私」が、統合的自己であり、身体的知性としての「私」であり、ティールとしての「私」であると理解してます

まずは、今日こうして出会えた「安心したい・・・」という自分自身とただただ一緒にいようと思います

そうして私は、数日ぶりに、身体に優しい眼差しを向けられました

今の私は、このインナーチャイルドとインナーアダルトの闘争の構図には自ら気づくこともできますし、ある程度までは深められますが、やはり聞き手がいないとインナーチャイルドに出会いきれないようです

ただ一方で、聞き手がいてくれると以前に比べるとかなりスムーズにインナーチャイルド出会い、インナーアダルトとの融和を図れるようになりました

徐々に、自分一人で完結できるようになれたらいいですね

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