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すてきな女むてきな女①

『お早う
山口さんのなっちゃんの
正式の 名前は なんて言うのかな
なっちゃんのお母さんが
卓球の練習中 休憩してる間に 意識がなくなり救急車で運ばれて 脳内出血で 緊急手術したんだけど まだ 人工呼吸 意識は戻ってない状態です 心配です
なっちゃんから 電話貰ったんだけど 
私が なっちゃんて
言うのも変かなと思い
LINEしました』

昨年の2月、母から突然こんなLINEが来た。

母のLINEはいつも読みにくい。
それは、改行や字間がおかしいからだ。

これは

①句読点が使えないらしく、句読点を入れたい場所にスペースをいれている

②自分の画面上で改行が出来ていれば、相手の画面でも同じように改行されていると思っている

③改行とスペースを混同している

でも、機械音痴の母の事を思えば、らくらくスマホとは言え、LINEを使えているという事だけで奇跡だ。

『なっちゃんは確か、なつ子やったと思うよ。』
そう返信した。


なっちゃんは私の小学校の時の同級生。
6年生の時に父親の仕事の都合で、アメリカに引っ越してしまったので、私はそれ以来会っていない。
同じクラスだったのは1〜2年生の時。一緒に遊んではいたけど、特別に仲が良いと言う訳ではなかった。だから、最後に話をしたのは2年生の時かもしれない。

なっちゃんがアメリカに行く、と人伝に聞いて
「気をつけてね。元気でね。」
と声をかけたかったけれど、しばらく話したこともないのに、突然声をかける事もできず、運動場で遊んでいるなっちゃんを横目で追うことしかできなかった。

そして、なっちゃんはアメリカに行ってしまった。


10年ほど前、実家に帰省した時のこと。
母が突然
「小学校の時、一緒やった山口さんって覚えてる?」
と聞いてきた。
「山口なっちゃんかな。6年生の時にアメリカに行った。」
「そうそう。アメリカに住んでたって言ってはったわ。」
「山口さんがどうしたん?」
「卓球に山口さんって言う人が居てはるねんけど、話してたら子供が同級生と違うかって。」
「こっちに帰って来てはるんや。」

うちの母は、30数年前から町内の卓球クラブで卓球をしている。
中学の時、卓球部だった私と妹のラケットが勿体無い、と私達が高校に通い出してから始めたのだ。
その卓球クラブに、なっちゃんのお母さんも来ているらしく、お互いの子供が同級生だった事が分かったようだ。

そんな訳でそれ以来、私が帰省すると、母はなっちゃんの話をするようになった。
「なっちゃん、離婚してこっちに帰って来たんやって。」
「なっちゃん、今度1週間くらい出張に行くらしいわ。」
「なっちゃんは仕事であちこち飛び回ってるんやって。」

なちゃんは、私の知らぬ間に、日本に帰って来ていて、今は両親と1人娘の4人で、住んでいるらしい。
そして、シングルマザーでありながら、バリバリのキャリアウーマンらしく、毎日忙しく飛び回っているようだった。
私と違い、パワフルで逞しくて素敵だな、と思った。いつもキラキラした感じなのだ。
小学校の時もそうだった。

だから近況を聞いていても、何処か遠くの、異国にいる人のような存在だった。


私はクラスの中心にいるようなタイプではなく、その横で、中心にいる人を見ていて、ちょっとだけ、あそこに入りたいな。と思っているような子供だった。

なっちゃんは明るくて、可愛くて、そこに居るだけで華が有った。周りにはいつも何人かの友達が輪を作り、その中心にいた。
習い事はピアノとエレクトーンと当時では珍しいジャズダンス。
ジャズダンス?なんやそれは。と言うレベルの私。だから、子供ながらに"私とは違う人種の人"だと認識していた。

そして何より印象に残っているのは、お母さんのことを「ママ」お父さんのことを「パパ」と呼んでいたこと。
今では当たり前になっているが、36年前、両親のことを「ママ」「パパ」と呼んでいる人は少なかった。と言うか、ほぼいなかった。

なっちゃんに憧れて、自宅でこっそり「ママ」「パパ」と声に出してみたが、恥ずかしくてとても無理だった。

私はのっぺりとした、純和風の顔立ち。それに私の両親は「ママ」「パパ」と言う出立ちでは無かった。

そんななっちゃんと2年生の時に、放課後を共に過ごした時の映像が、何故か私の脳裏に鮮明に残っている。
当時、校区内に大きなマンションが建ち、一気に生徒数が増えることになった。4クラスから6クラスへと一気に2クラスも。
全学年でそうなる訳なので、当然、教室は足りなくなり、私達は校舎増設工事の間、運動場の隅に建てられたプレハブ校舎で過ごす事になった。
プレハブの校舎は直接運動場に面しているので、いつも教室の中は砂だらけだった。
プレハブにはクーラーがついていたものの、断熱材のないペラペラの壁で、夏の教室は灼熱地獄、冬はだるまストーブがたかれるものの、なかなか暖まらず、極寒地獄だった。

そんな砂だらけの教室で、放課後、なっちゃんとその他2〜3人の友達と教室の前に置いてある、オルガンを囲んで、歌を歌っていた。
勿論、真ん中でオルガンを弾いているのはなっちゃんだ。
そこへなっちゃん目当ての男子達が、私達が教室から出られないように、取り囲み、閉じ込めてしまったのだ。
その後、私達がどうやって教室から脱出したのか、全く覚えていない。
ただ、私は、キラキラと輝いている憧れのなっちゃんと、同じ空間で一緒に過ごせた事が、嬉しかった。


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