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「親子関係は?元気になったきっかけは?」3人の経験者が語る私の不登校とその後

 2024年1月28日、東京都西東京市にて開催されたシンポジウム「経験者が語る 私の不登校とその後」(主催・ひばりが丘公民館/不登校情報ネットワークハートラインにしとうきょう)の講演抄録を掲載する。不登校経験者のさゆりさん、古川寛太さん(ともに23歳)、太田貴也さん(24歳)と本紙スタッフ・茂手木が登壇し、それぞれの不登校経験や来場者からの質問に答えた。

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茂手木りょうが(以下、茂手木)本日の司会を務めます、茂手木です。さっそくですが、それぞれの不登校の経験について聞かせてください。

さゆり 『不登校新聞』でアルバイトをしているさゆりです。私が不登校になったのは、本当の自分を隠すようになったことが影響しています。

 発端になったのは、小学5年生のときに受けたいじめでした。同じクラスの男子数人から、ばい菌扱いをされるような言葉の暴力を受けて、すごく傷つけられたんです。それに加えて、先生が私のつらさを理解してくれませんでした。

 何度か相談したのですが、「この程度のことで逃げていると、この先、生きていけないよ」と、私に問題があるかのように言われました。いじめだけでなく、話を聞いてもらえなかったことが悲しかったですね。

 それからは、「私の性格に問題があるんだ」と思い、本音を隠して生きるようになったんです。不登校になったのは中学時代なのですが、いじめられたときの経験が、土台になっていると思います。

 また、親子関係でもたびたび悩んできました。私は4人きょうだいの一番上なんです。親は弟たちの世話に手をやいていたのか、私には放任的でした。

 長女として弟のめんどうをみないといけないことも多くて、今で言うヤングケアラーのようになっていた時期もあります。親にはもっと私の話を聞いてほしかったですね。

古川寛太(以下、寛太) 『不登校新聞』でアルバイトをしている古川寛太です。現在は連載記事「前略、トンネルの底から」も書かせていただいています。

 僕は高校3年間、不登校でした。小学校~中学校まではふつうに行っていて、とくに不満はなかったし、優等生でさえありました。中学では生徒会長をしていて、卒業式では学年代表の答辞も読みました。だけど地元の進学校に入ってから、いっぺんに変わってしまいました。答辞を読んだ数カ月後に不登校ですから、何が起こるかわからないですね。

 今でこそ高校時代をヘラヘラ語れるのですが、当時はどん底でした。高校の3年間はほぼひきこもり状態で、ちゃんとしゃべった大人は、家族と医者くらいしかいません。

 きついことばかりだったのですが、なかでも父親から言われたことが、最悪の記憶として残っています。ある平日の午前中に、仕事で出かけているはずの父親が、いきなり家に帰ってきました。普段は無口な父親なのですが、急に怒りを爆発させて、僕に怒鳴ったのです。「情けない!」と言われて、殴られました。あれは忘れられません。

 当時は「このままじゃダメだ」と思いながら、ひたすら自分を責めていた時期でした。その上で父の「情けない!」でしたから、あのときは本当にきつかったです。

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