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【あれこれ】幸せになる準備と、不幸にならない準備


いただいたタイトル、海外書籍の邦題みたいですね。僕はどうだろ…。前よりかは、とかそんな感じ。準備をするのも勇気を持つのも難しいことはそれなりに分かっているつもりでいます。(スタッフ・古川)





幸せになる準備してますか?
私はたぶん、あんまりできてません。
すこぶる調子の悪い時期を通過して、でもかーっと急上昇したはずの熱も冷えて硬直し始めました。抽象的すぎて意味がわかりませんね。ごめんなさい。

前回に引き続きで何度も言いますが、たぶん仕事を辞めたがっています。この春の面談で「10月までに『やっぱり頑張ろう』と思わなければ辞めます」と言うことに決めました。決めていました。
現実は「10月で辞めようという気持ちでやってみたんですけど、うまくいきませんね」でした。うーん、チキンめ。名前をなすとチキンに変えようかしら。おいしそうだし。

これは日和ってるのか社畜的な精神なのか、それともみんなそんなもんなのかわからんのですけども。次年度までかけるプロジェクトのスケジュールを見たら、マネージャーと熱心に話し込んでしまいました。辞めようとしてるのにその先含めて仕事を組み立てちゃうの、なんなんでしょうね。おもしろいようなさみしいような。


残業を終えて22時半に家へ着き、2時間ほどTwitterを触って、はあはあなるほどと思ったことがあります。
私、不幸せにならない準備がすごく苦手なんですね。
なるほどなー。
別にそういう投稿を見ていたわけでもないんですけど、ぼんやり考えてたらすごく納得してしまいました。

不幸せにならない準備。

仕事で言うと、事前調整がとんでもなく苦手です。事前準備もあまり得意ではないし、報告書も大嫌い。
なのにトラブル対応とか緊急めな開発は割と好き好んで首を突っ込んでいきます。そういう時はそこそこ報告がマシになったりもします。これがまた余計な負荷にもなっているんですけど懲りません。
まあそんな感じの細かく向き不向きはあれど、今の仕事自体が私にとっては不幸せにならない準備でしかないのは確かです。この仕事で実現したいことはないし、10年後こうなってたいとかない。
興味も失ってきたから、お金を稼ぐ以外の意味を持てなくなってきました。

仕事以外だと、最近は家事が全くできません。それにセルフネグレクトの傾向がごりごりと出始めました。お風呂入れないとか歯磨きできないとか眠らないとか。
ゴールデンウィークに入る前そういうツイートが流行ってましたが、まあ私もそういうことなんでしょう。
仕事の日とかなんとか外に出る用事を作って、直前にがばっとやることでぎりぎり最低限をちょっと下回るくらいの清潔を保っている状態です。連日テレワークだとこの辺見事にできなくなるので、私には全く向いてません。サボるし。

そんな感じで不幸せにならない準備、すごく苦手です。

話を戻して。
そもそもなんでこんなこと思ったのかといえば、ちょっと前にユニゾンの告知を見たからです。
4/24にNHKホールのライブを見てきました。これは10年前のツアーのリバイバル。そして20周年の今年、お祝いごとのキャッチフレーズが「ちゃんと幸せになる準備もしてる。」でした。これは4年前のアルバムの一節から引用されています(同じ曲の中で「本当の気持ちを話すのは4年くらいは後にするよ」とも言っていて、解散するのか?と戦々恐々です)。

幸せになる準備、私はちゃんとできてるんでしょうか。
うん、あんまりできてないですね。
不幸せにならない準備に疲れてYouTubeとか SNSを垂れ流しています。
(私が言うSNSってもっぱらTwitterなんですけど、本来はYouTubeも含まれてますね。まあいいや。)
その後の徒労感でさらに疲れてしまいますし。

でもいくらかは幸せになる準備もしました。
つい先日、寝不足になりながら『都会のトム&ソーヤ』を読みました。その後、寝不足になりながら締切1日前にこことは別の寄稿文を書きました。この辺は翌日の体調不良を差し引いても楽しいものだし、むしろほんのり調子は良かったはずです。
これは幸せの準備。

昨年の文学フリマ前、深夜2時くらいまで表紙を作ったりフリーペーパーを作ったりしてました。
なんなら文学フリマ当日よりも楽しくて調子が良かったです。
これも幸せの準備。

3年前くらいまでは自炊をしていて、それはとても楽しくやってました。ご飯を食べるのも楽しい時間でした。こんなに美味しいご飯が作れるなんて天才だ!と思いながらやっていました。
今やご飯を食べるのも面倒で片付けはもっと面倒で数日放置は当たり前になっています。
自炊していたころはすぐに片付けができていました。これはきっと次のご飯を作るため、次の幸せを準備するための行動だったからだと思います。

不幸せにならない準備をしていると心を病んで、
幸せになる準備の場合も夢中になるとおかしな生活はしてしまうんだけど、それでもちゃんと楽しい。
そんな感じです。

それに幸せになる準備をしていると、釣られて不幸せにならない準備も行動に組み込まれていくみたいです。
次のご飯を作るためにさっさと食器を洗うとか、お洒落して外へ出るために身体を清潔にしたり洗濯をしたりとか。全てではないけれど、それなら不幸せにならない準備もそれなりにこなせてるんですね。

あと10年で死んでしまいたい。
そこには不幸せにならない準備がとにかく面倒という、究極的なめんどくさがり精神が見えてきました。
言っていることはほとんど変わらないけれど、それでも先月より自分に潜む何かがわかった気がします。
せっかくわかったのなら、幸せになる準備の時間を増やしてかわいがってあげたいところです。
不幸せにならない準備が苦手で、消耗するように早死にするよりも、幸せの準備に夢中で燃えるように消えていった方が好ましいです。私にとっては。
もちろん、幸せになる準備も不幸せにならない準備も適当にやってのけて幸せにそこそこ長く生きたら良いのでしょうけど。

とりあえずは30歳。
あと2年ちょっとのところで、私が胸を張って祝ってもらえるように。
そういう準備をしていきたいところです。
ここ2回分を書いていた時の勢いなら「あなたに祝ってもらえるように準備します」と言い切っていたはずなんですけど。
もう少しだけ、なすとチキン営業中です。

なすとチキンってeggplant and chickenだと思うんですけど、egg and chickenで卵が先か鶏が先かの解決しない問題を指すようです。

思いがけずオチっぽいところを序盤に引いてしまいました。
もうまじで全然テンポよくいかんので、落ちたってことにして終わります。

ばいばい。



この寄稿者の前回記事↓




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