【あれこれ】拝啓 はやみねかおる様
不登校新聞の1/1号、はやみねかおるさんのインタビューと共に私の文章が掲載されました。
これは4月の取材日〜次の日、勢いのままに書き上げたものです。当初は感想文として関係者3名に見せて、はやみねさんに記事を送る時に合わせて送っていただくようお願いしていただけでした。
それから半年ちょっと。会社帰りの電車で押し潰されながらスマホを見ると不登校新聞からメールが来ていました。1/1号にインタビューと合わせて掲載できないかと。
私もよく書けたと思っているので開けた場所に置いてあげられるのは嬉しい限りです。
その文章、新聞の都合で少し編集が加わっています。伝わらなそうな固有名詞に補足が入ったり漢字が一部ひらがなに置き換わったり。
こちらではほぼ原文、一部加筆修正したセルフエディット版を寄稿することにしました。
補足
登場人物を少しだけ説明しておきます。(登場順)
・私
私です。
・かんたさん
不登校ラボスタッフの古川さん。
企画者でありインタビュアーも務めた人。
この人がいないとインタビューもありませんでした。
当時は前身「不登校新聞子ども若者編集部」のメンバーだったはずで、職員とかでもない22歳のメンバーが企画通したりインタビューしてたり訳わかんないです。スーパーマン。
・高山さん
プロのライター・インタビュアーさん。
「Magazine isn’t dead.」を主宰されている方。
文学フリマを教えてくれたり、この文章を「もっと多くの人に読まれるべき」と言ってくれました。
放出されるエネルギー量が尋常じゃ無い。
・はやみねかおるさん
作家、インタビュイー。
素敵な大人。
・茂手木さん
不登校新聞の編集長。
もともとこの文章を見せたのはかんたさん・高山さんと茂手木さんの3人。
掲載に関してのメールをくれた人。
・担当さん
担当さん、私はやりとりしていないのでお名前等は存じ上げない。
はやみねさんと担当さんのやりとりが心地良かった。
この文章、茂手木さんの呼ぶ「体験記」がピンと来ない。自分の中で置き場所に悩んでいたのだけど、担当さんから「お手紙に心を動かされました」とお返事をいただいたとのこと。
この文章はお手紙と呼ぶことにしました。
以下本文です。
・・・
「最期の時も『今が一番楽しい』と言いたい」とおっしゃったのをよく覚えている。「今『一番楽しい時はいつでしたか?』と聞いてもらえば『今です』と答えますよ」とも。これはすごく嬉しい。講談社新館26階、シェラトンのスイートルームのような部屋で1時間。たっぷりなようであっという間、素敵な大人に導かれて今に向き合った時間だった。
私とかんたさんは13:30ごろに集合して講談社向かいのロッテリアに入る。高山さんとの待ち合わせまで1時間ちょっと、取材後に話したいことについて少しずつジャブを打つ。のだが、明らかに私が固い。
はやみねかおるさん、ものすごく失礼なことに、実は取材に行くことが決まるまで全くのノータッチだった。4/13、事前打ち合わせ後に慌てて図書館であとがきを読み漁る。取材まであと3日、さすがに遅すぎるだろう。でもこの短時間に人となりを掴むならそれが最適だと思った。数冊貸し出されてとびとびの『都会のトム&ソーヤ』を含め20冊ほど、17時から閉館まで沈み込む。
18時ごろ、この人はウォルト・ディズニーなんだと思った。人を喜ばせることが好きで、それ以上に自分が楽しくて楽しくてしょうがない。読者の喜ぶ顔を陰でにやにや眺めている。喜ぶのが好きなのは本当だけど、舐められたらもっと力が入る感じ。とても誠実な方だ。児童文学だからなのか、大人向けの方便は全く感じない。
2時間くらいあとがきを読んだ。それだけで、はやみねさんのことを好きになってしまった。なんてちょろいんだ。聞きたいことは浮かばなくても、その空間にいられることがとても楽しみになった。憧れのような気持ちが出ていたから、ご飯の段階から緊張して固さが出ているのだ。
あっという間に時間は迫って当日の14:45、なんとなんと待ち合わせ時間になっても高山さんがお見えにならない。電車に乗った時気分が悪くなってしまったとのこと。不謹慎だがこれにはドキドキした。不安20%、楽しみ80%くらいの感じで浮かれてしまう。もし間に合わなかったらメンバー2人で取材するわけで、これはこれでわくわくする。茂手木さんや担当の方に一報入れるべきか悩んでいた頃、高山さんから到着した旨の連絡があった。うーん、ほっとした反面ちょっと残念。でもどうしよう、と思えた分は確実に楽しかった。高山さんナイスです。
受付でゲスト用の入館シールをもらって左胸に貼る。
ぎゃぼーー!!
何が書かれているのかと思った。入館シールには講談社の作品から一言、引用されているらしい。「ぎゃぼーー!!」は『のだめカンタービレ』だった。先日かんたさんに「かんたーびれ」で名前をもじったブログとかを立ち上げて欲しいと言ったばかり。すごく運命的だ。のだめを受け取ったのは私だけだったけど。
エレベーターで上がって部屋に通されると、はやみねさんが出迎えてくださっていた。なんだろう、この時点でかなり素敵だ。簡単に挨拶して荷物を置く。担当の方が荷物用にと椅子をご用意してくださると、はやみねさんも椅子を運び始める。ああやっぱり、こういう方なんだ。
担当の方は少し離れた別の机で作業され、はやみねさん1人を3人で迎え撃つような体制になる。こちらは右からかんたさん、高山さん、私の順に座って、かんたさんがいつもより少しぎこちなく不登校新聞の説明から始める。
15分くらい経った頃だろうか。思い切り琴線に触れた。「『嘘は良くない』ではなく『下手な嘘は良くない』、子どもにはそれを伝える必要がある」と。それを受けてかんたさんが「嘘がつけなかったから学校に行けなくなってしまった」と話すから、その時のはやみねさんが全てを受け取るような表情を浮かべているから、私も話したくなってしまった。取材時間はきっと長くはない。質問以外はなるべくせずにいよう。そう思っていたのにどこか救われてしまったから、どうしても伝えたくなるのだ。あなたからのボールをきちんと受け取ったことを、私の気持ちを言葉に乗せて返したい。
泣くかと思った。大したことは話していないのに。思えば、大人にただ受け取ってもらうのは久しぶりだった。私も大人であるという自負がある。いつもはなんとなく、相手を感心させたい気持ちが乗ってしまう。舐められたくない。すごいやつだと思われたい。そういう単純な理由のはずだ。相手も、完全にボールを受けてくれることはほとんどない。いつも何か引っかかった顔をしている。だけど今はそれを感じない。ただ受け取って、受け取ったよと合図をくれたような気がした。もうそれ以上は話す必要も質問する必要も無かった。
15:50、本当に発言することなく取材が終わろうとしている。質問は思い浮かばなかったけど、伝えたいことはある。はやみねさんが私の言葉を受け取ってくれたように、私が受け取った合図を送る番だと思った。「次の世代のことを考えるのが大人」なら、「前の世代の思いを受け取るのが元こども」のできることだ。だから少しだけ、きっと取材としては必要ないけれど時間をもらった。
「あとがきに出てくる『冒険』は取材中に出てきた『苦労して欲しい』を伝える言葉だと思っている」ということを伝えた。本当に思っていることを言っただけ。知識を繋ぎ合わせる知恵が大事だし楽しい、それを磨く場面は苦労しないとなかなか出会えない。取材中にそういうことをおっしゃっていた。それはたぶん、考えることを放棄しないで欲しいというメッセージだ。
今を楽しむために、便利すぎるものに惑わされず考えて欲しい。好きなものがなんなのか、自分の人生をもっと豊かにするものは何か見つけて欲しい。だから取材中も私たちに疑問を投げかける。冒険という言葉には、苦労して自分の好きを、人生を手に入れて欲しいという思いが詰まっているんじゃないか。
最後に、お手製の小さな瓶を見せてくれた。口から棒が刺さっていて、中で木を貫通したナットがしまっている。棒単体ならば抜けるが、ナットのおかげで蓋されている状態。「これどうやって作るかわかりますか?」私たちが悩んでいると、悪戯っぽく笑う。
「答えは教えません。作ってみたらわかりますよ。」
ああ、たぶんこの時間もはやみねさんが1番楽しんでいる。
少し前、安楽死の是非を問うような映画を観た。その時に感じたのだ。このまま40代になったらきっと退屈で生きる意志を失うだろうと。まるでそんな考えを鼻で笑うような笑いと輝き。大人ってずるい。あなたの視界で光っていたいと思ってしまった。願わくばもう一度、大人として手土産の一つも持ってお会いしたい。その時こそ私の方が楽しんでみせるから。
この寄稿者の前回記事↓