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【あれこれ】通信制高校。終わりの終わり


体が冷えると、同じく冷えていたあの時のこと思い出しますよね。メンバーのドヌーヴさん、半年だけ通っていたという通信制高校にお話です。ご自愛ください。(スタッフ・古川)





高校3年生の秋、もといた全日制の高校を辞め通信制高校に通うことが決まった。人生の終わりだと思った。


1年、2年次とかろうじて進級するたびに担任から、来年こそは、と言われていた。続けて、今年は大目にみてやるが、とも。学年末のテストでろくに点の取れない俺は11教科すべてに課題と補講と追試が用意された。救済措置をありがたく思う余裕はない。擦り減った心にムチを打って手を動かす。結局、課題も補講も追試もまったく理解ができないまま日程をこなし、ほとんど恩情で学年を上げてもらった。

だましだまし進級はできても、卒業となるとそうはいかないらしい。3年生になっても相変わらずひとりうつむいていると、梅雨前線より先に転学の話が来た。地方とはいえ進学校。同級生はすでによい進学先を勝ち取るための臨戦態勢に入っている。ここにあなたの居場所はないですよ。遅刻して入った教室で後方からクラスメイトの背中を見ると、そんな声が聞こえてくる気がする。知っているに決まってるだろ。けれど、勉強しか能のなかった自分が地元で名誉のある学校にまだ在籍できている、それすら無くなったとき、俺になにが残る?立っていられる自信はなかった。他のどんなことよりも、怖い。

答えを先延ばしにしたまま夏休みが始まった。受験勉強どころか進路さえ曖昧。夏期講習は日程すら分からない。刻一刻とリミットが迫っている中で、確実に息は詰まっていった。完全に糸が切れたのは8月の終わり。詳細は次回以降に譲る。よい高校に在籍している自分、2年以上握っていたその線がプツンと。


気づいたときには、俺は通信制高校の一室で施設の説明を受けていた。10月。駅前にあるビルの2階と3階を利用した小さな学校だった。スクーリングなど必要に応じて登校することはあるがそれ以外では課題さえ出していれば来ても来なくてもどちらでもよい、というカリキュラム。転学を決意できたのは前向きな理由ではない。真っ白な灰になっていた心が、もとあった場所からもう灰すら残らないくらい吹き飛んでしまったから。屋上から飛び降りるような感覚で、両親にその旨を伝えていた。どうとでもなれと思った。

はじめての全体登校日、吹き飛んだと思っていた灰が胸に残っていたことを知る。初対面だった周りの生徒を見て、今考えると浅はかではあるが、愕然としてしまった。いくつかの要素においてマジョリティから外れてしまった同世代たちが、部屋の中心と隅を埋めていた。そして自分もまた、この集団の構成する一人だという事実を受け止めなければならなかったのだが、どうしてもできなかった。傷心するだけの可燃物は自分の中にまだあって、でもそれもすぐに白く軽くなっていく。あなたは彼らと同じグループです。通えなかった前校の、机に吸い込まれている背中が、そう言っている気がした。

あと半年、仲良しごっこなんてしなくても単位をとって卒業さえできればなんでもよかった。いや、それすら建前かもしれない。とにかくルールに則った”所属”をすることで、普通の、どこにでもいる、目立たない高校生になりたかった。一応学生ですと伏し目がちに自己紹介をするのはもうやめにしたかった。同族はいらないし共感もいらない。文化祭のビラを配らずスマホをいじる男子も、グループワークに参加せずネイルをなでる女子も、行事準備の段取りが悪い先生も、みんな嫌いだった。一緒にしてほしくなかった。この場にいる自分を誰にも肯定してほしくなかった。でもそれを叫ぶ勇気もガソリンも、俺にはやっぱりなかったのである。


年末に試験をクリアすると、あっという間に卒業がやってきた。最終月は卒業式で流すビデオを制作するらしい。一人一人が「将来どんな大人になりたいか」というテーマで10分ほど喋ったものをつなぎ合わせる。特に内容を準備することなくカメラの前に立った。よいビジネスマンになりたい、みたいなことを話したと思う。よく覚えていない。撮影が終わると、カメラマン兼インタビュアーを務めていた学長が俺に向かって言った。

「とても立派だね。君がこの学園に来てくれて本当に良かった。ありがとう。」

あの時ほど、もうすべて終わってしまえと思ったことはない。認められたくない成果を認められ感謝までされてしまったら、もう一生、あなたにも私にも刻まれてしまうでしょう?なかったことには、永遠にできなくて。


卒業式はつつがなく行われた。中学次では学年代表として、慣れ親しんだ体育館、慣れ親しんだ仲間の前で答辞を読みあげた俺は、3年後、知らないホテルの知らない部屋で知らない同級生や知らない先生と知らないスーツを着て知らない大人から知らない校名の卒業証書を受け渡されていた。上映されたビデオ内で俺が何か言っていたが、覚えていない。父は仕事の関係で来れなかった。母は白の正装で出席し、式後に駅前のミスタードーナツに連れて行ってくれた。履きなれない革靴とは対照的に、エンゼルクリームだけが柔らかかった。



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