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光速で過ぎていく日々に音楽を

光速で過ぎていく日々を過ごす不適合とともに駆け抜けていく音楽とは。

早いものでもう今年も終わりの気配を見せかけている。12月は師走の呼び名に恥じずめちゃくちゃ速く過ぎ去っていくけれど、正直11月もすごい速さだと思う。小走りくらいは絶対している。師小走。なんかありそう。調べたけどなかった。


先日私は夏休みが一番好きだとか言っていたけど、一位タイで年末年始も好き。ほんとにピッタリ同列一位。仲良しゴール。

そして私は時間の感覚の幅というのか、時間をかなり豪快に分けている節があるので、11月はもう年末年始みたいなものである。「この間」は半年前だし、夏休みはnever endだし、年末年始は4ヶ月くらいある。
学部時代は2月まで年末年始が続いていると主張し、餅を食べ続け、こたつに入り続けた。どうやって卒業したん?


年末では年内の全てを清算し、年始は幸先の良いスタートを切ろうとなんやかんやとやろうとする。この総決算セール感が私にこれ以上ないほど「生」を実感させる。

江戸時代に書かれた井原西鶴の世間胸算用では、年内にこさえた借金をガバガバ胸算用(こころのなかでの計算)でなんとか誤魔化して、元旦リセットを狙う民衆の姿が見られるけれど、彼らからも強烈で愉快な「生」を感じる。

井原西鶴の時代の民衆の心を大切に守ってきてしまった私も例に漏れず年末不幸のジャックポットを発生させて、不適合胸算用の物語を更新し続けている。

世間胸算用と不適合胸算用の共通点は何か。それは、限りなく追い詰められているということである。


ここで断っておきたいけれど、まず私は借金的なもので追い詰められているわけではない。また、世間胸算用は滑稽物語であって、作中の借金という言葉も、愉快な物語の演出役として出ている。

今回の文章での追い詰められているなどという言葉は、全くシリアスなものではない。時間とお金を計算できない不適合胸算用として捉えてほしい。ただただ、めちゃくちゃアホなだけである。今回は久しぶりに、かなりの不適合を感じる文章です。


とにかく、私は年末年始、特に年末に追い詰められる。平常時も結構バタバタと生きているけど、年末年始はそのバタバタが凝縮して訪れる。

先述の通り私の年末は11月ごろから始まるのだけれど、本年末(12月末)に向けて考えなしに予定を入れてしまう。信じられない。

年末は学部生時代の友人や先輩後輩と会えるチャンスだからすごく嬉しくなってしまってお誘いをかけてしまう。でも世間の年末は12/28~31くらいなので「年末会おうぜ〜」などと軽々しく何人かにいうと、世間の年末の期間に馬鹿みたいに予定が集中してしまう。

年末は年内の清算というけれど、何を私は清算しているのかというとその年のガバガバによって生まれた他人への迷惑等の罪を、己の身をもって清算している。仰々しく書いているけど本当に迷惑なやつなので、清算などはされない。ごめんなさい。

しかし、完全に自分のスケジュール管理能力の欠如によって立てられた予定と、天罰が下ってうまく予定が遂行されないことで、「来年はもうこんなことをやめよう。時間管理をしっかりして、約束も守ろう。」と思わせられる。

去年は年末の予定に向けて乗った高速バスが4時間遅れて深夜1時に梅田に解き放たれて、ホテルの電気も消えて冷えた梅田を一人徘徊した。完全に天罰。下るべき。

その後朝一の新幹線で帰って友人と合流して馬券買ってすぐライブ行って馬券外した。

昨年の一連の愚行と反省から、今年はかなり時間と約束を守って過ごすよう心がけた。かなりできたと思う。人間2年目とかなのかな。

今年の年末こそ、適度なスケジュールを立てるぞと意気込んでいる。周囲の恩赦によって生かされている不適合。

何度かnoteに書いているけれど、今年はいろんなきっかけがあって、私は己を律し、時間を管理できるようになった。

でも、時間に振り回されている人間特有の疾走感というか、生きているという感じがなくなったかというと、そうでもない気がする。


やっぱり年末は11月から始まっているし、予定に追われていなくても一つ一つの予定が濃密で、刹那的な日々を送っていて、年末に向けて時が加速している感覚がある。

体感時間が加速し続ける中で、その「速さ」をさらに鮮明にして煽り立ててくれるのが音楽である。

私は季節とか雰囲気とか心情に合わせて音楽を選ぶから、疾走感のある刹那的な音楽を聴くとめちゃ盛り上がって光速になってしまう。

今回は年末に向けて、スピード感のある日々を彩る音楽を記録していくという趣旨の文章です。

早速見て、聴いていこう。

「速さ」と一緒に楽しめる音楽たち

①andymori すごい速さ

その名の通り。速さが求められるときは結構この曲を聴いていることが多い。
あとは季節の移ろいの速さを感じる時とか。曲自体も短くて疾走感がすごい。

「すごい速さで夏は過ぎたが」という歌詞から、きっと夏の歌だろうなと思うけど私は通年聴いている。
でも、8月あたりに夏も締めだな〜という感じの暑さの時、料理中に聴くのが特に好き。割と人といる時に聴いている気がする。「ラララララララ〜」のところを斉唱したい。全然急いでない。

遅刻している時によだれを口の中でモゴモゴさせながら聴く時もある。かなりあった。過去形。
シンプルな速度が求められる時にこの曲をドアを開ける前にかけたらめちゃくちゃ速く走れている気になる。音楽をかける前に走ろう。

歌詞も大変ドラマティックというか、歌の中の風景が身近に感じられて好き。色々な感情が思い起こされる一曲ですね。

ちなみに夏の歌だろうなとか思っていたけど、私はこれを師走の歌だと勘違いしていた。群青日和も夏の歌だと思っていた。勝手すぎる。

②東京事変 閃光少女

今を生きてるぜ、と思っている時はだいたいこの曲を聴いている。衝動に突き動かされて行動している時は聴きながら口角を上げて走り抜けている。

何年か前の夏、花火が近くで上がっているからとチャリに飛び乗って花火を探しにいって、段差で車輪が滑って身体が吹き飛んだ時も脳内でこの曲が流れていた。アドレナリン。
この曲を聴きながら就活のエントリーシートを書いたら落とされたこともあった。

どんな人間になりたいか?って質問に、「光速で生きたい。まじでめっちゃ速く。」という旨を書いたらあえなく墓場行きとなってしまった。いや原本返ってきてないけど。比喩だけど。光速も比喩だけど。私は光ではないので。

以下、私の分析。

推測される落選理由1:自身が光線ではないという意識が足りなかった。光線はエントリーシートを書かない。

推測される落選理由2:東京事変の『閃光少女』を聞きながら書いた。私は今しか知らない人事の今に閃きたい。

無限会社・不適合コーポレーション|不適合女

年末年始も常に「今日現在(いま)が確かなら万事快調よ」と思って生きている。先を考えるより今を生きる方が合っているのかもしれない。先も考えたい。
将来とかこの先の評価とかを考えて踏み出せない時は背中を押してくれたりもする。刹那の根源。

③Queen Don't Stop Me Now 

両親がQueenを好きだから小さい頃からウキウキで聴いていたのだけれど、最近歌詞をよく聴いたらめちゃくちゃ「速さ」がある曲でめちゃくちゃカッケェ〜〜〜〜!?!?!?となった。

確かに「私を止めるな(直訳)」というタイトルなので、今までなぜこの疾走感に気づかなかったのだろうと思う。I'm a shooting star をはじめとして、速さみなぎる単語がたくさん出てくる。特に好きなのはMister Fahrenheitのあたり。空を200℉くらいで燃えながら駆け抜けてて、ミスター華氏(℉)と呼ばれてるんです、という表現がイケすぎている。私もミスターなんとかって言われたいな。
ミスター鳥貴族とかかな。その称号を背負うにはまだ早い。光速。

歌詞の素晴らしさに気づいて父の休日に一緒に聴いていたら「supersonic woman of you」のニュアンスが気になって30分近く話し込んでいた。結局特に解決しないまま、Queenの発音に似せる大会にいつの間にか変化していた。諸行無常。

④ヤバイTシャツ屋さん NO MONEY DANCE


もうどうしようもない時、具体的に言えばNO MONEYのとき、諦めて踊っている。
完全に胸算用の様相を呈していて、今を生きている時の曲。
紙幣が光速で駆け抜けていく。

笑えん金がないのにウーバーイーツ頼んじゃったり、競馬見ちゃったり、複勝勝ったのに損してたり、自分と完全にリンクしていて楽しい。心の拠り所と化している。
ちなみに私は今年一回競馬に勝った。競馬中継見ながらめちゃくちゃデカい声出た。
買ったのが嬉しすぎて馬券を持って妹の家を飛び出したら、場外馬券場へのバスに乗る直前に「今日は換金できないらしいよ」と言われた。全てがゴミだし、全てが刹那。買って得たお金も刹那だった。かわいい紙幣め。

ゴミ同然のタンクトップを蘇らせる、伊藤家の食卓風のめちゃくちゃ凝っているMVも大変おすすめなのでぜひ。

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以上、生き急いでいる時のお気に入りナンバー。
リピートはされてないけど、「天国と地獄」を流しながら、突然命じられたバイト先の別の視点への出向命令に従っていた時もあった。過去が尽きない。

戒めのために繰り返すけれども、今年の年末はジャックポットを起こしません。
上手に疾走します。上手に疾走?

今日はきゃわいいカラーパンツを買った。よかったね。

それでは今日はこのあたりで。
また来週。


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