くつ屋のペンキぬり-02(小説)

 男は大きな街へ着くや否や、さっそくその足で屋根づくりの職人を訪ねました。家々の丸屋根に使われている滑らかな白い材料は、真昼の暑さと真夜中の寒さをしのいで、砂漠から飛んでくる砂をつるりと留まらせない、太陽がとくべつ近いこの国で独自に作られたペンキだといいます。遠く北国で育った男は、太陽の国の、ぎらぎらした陽光の下にあって雪よりも白いこの屋根をかならず自分で塗りたいと思って来たのです。
 ペンキ塗りの親方はたいそう気立てのよい人で、約束もなく訪れた異邦の男を愛想よく迎えました。しばらくは機嫌よく、南国の強い酒なんて酌み交わしながら、自分の塗った屋根のことをあれこれ話してくれましたが、男が弟子にしてほしいと言い出した途端、さっと顔色を変えてきびしい目つきになりました。
「それはだめだ、そんな足ではだめだ、足がなっとらん」
 言われて、男は自分の足を見ます。長い旅路をともにした雪靴が、居心地悪そうに泥汚れを付けています。
「この靴ではいけませんか」
「靴、だって! いったいどこに、あの丸屋根のつるっつるした天辺を上って落ちてこない靴なんてあるかい」
「そういえば、この国の人はあんまり靴を履かないのですね」
 男は自分の隣にででんと一組くつろげてある、親方の足の指や裏を見ます。日に焼けた肌がごつごつとして、皮は分厚くて指は長く、なるほどしっかりと屋根を掴んだら、仕事を終えるまで決して離さなそうな足です。家の中だから、とも思いましたが、考えてみれば親方は店先からずっと靴を履いていませんでした。道行く人を思い返してみても、男がこの国に到着してからというもの、靴どころか靴下らしきものすら見ていません。
「砂漠の砂で火傷をしないのですか」
「はん、スラムのチビだってここじゃあサソリを素で踏みつぶすのさ。生まれた時分からずうっと砂の上を歩いてりゃあこうなる。だが、おまえさんはそうじゃない」
 なるほど男は、雪と氷に閉ざされた国の生まれです。手指はささくれだっていますが、氷の上をはだしで踏んだなら、裏の皮が丈夫になるのを待たず氷が皮を"持っていって"しまいます。
 ペンキ塗りの親方はけっして小ばかにしてではなく、そういうものなんだとなだめて言いました。
「おれらの屋根とおんなじだ。おまえさんの国にはそれが靴だった。けどな、獣の革と紐とでぐるぐるに守ってやらなきゃならん足では、おれらの屋根には上げてやれん。すまないが、弟子はあきらめてくれ」
 あきらめてくれと言われて、引き下がれるはずもありません。男は親分の元を後にすると、ほかのペンキ塗りの家を片っ端から、看板の目についた順に、こまもの屋の店先で教わった順に、とにかく訪ねて回りました。男が屋根に惚れ込んで遠路はるばる来たのだと聞くと、皆それぞれに気前よく屋根の話をしてくれましたが、こと弟子入りの話になると、ぴたっと口を噤んで最初の親方とまるっきり同じように首を振りました。
「弟子はだめだ」
「弟子だけはだめだ」
「親方さんもだめだと言ったんだろう、じゃあだめだ」
 一様にだめとはどういうことだ。せめて訳を教えてくれないか。男が頼みますと、最後に訪ねたペンキ塗りの若い男が眉を下げて答えました。
「ここらのペンキ塗りはみんな、親方さんからの"のれん分け"なんだ。だから親方さんがだめだと言ったら、どこのペンキ塗りでもだめなんだよ。勘違いしないでくれ、意地悪をしているわけじゃない。考えてることがおんなじだってだけだ。本当に、あんたの足じゃあ、だめなものはだめなんだよ」
 いよいよ男は困ってしまいました。身内もなく、伝手もなく、ペンキのほかには当てもなく来たのです。本当言うと、今日にでも親方のところへ弟子入りして住み込みで働かせてもらう算段でした。当てが外れたとあっては、当面の住むところから探さねばなりません。
 日がまもなく落ちようかという頃になっていました。この国に着いたのが朝早くでしたから、夜より昼がずっと長いこの国で、まるまる半日を歩いていたことになります。今夜のところはどこかへ宿でも取るしかなさそうです。宿泊所の場所を訊ねますと、若いペンキ塗りはさらに眉を下げてほとほと呆れた顔をし、左手の親指をぐいとやって自身の背後を指しました。
「宿もないのか、あんた、ずいぶんな無鉄砲らしい。そこらに転がしとくとどっかで窓でもけやぶっちまいそうで敵わない。狭いとこだが、うちでよければ一晩泊っていきなよ。もうすぐ妻と息子が帰ってくる頃なんだ」
 男は、この若いペンキ塗りの言葉に甘えて、一晩だけの約束で泊めてもらうことにしました。まもなく帰宅した気立てのいい妻と、腕白そうな息子は、異邦からの来客にたいそう驚いておりましたが、事情を知ると快く男をもてなしてくれました。特に、四つになったばかりだという一人息子は異国に興味津々で、北の寒い冷たい国の話をあれこれとせがみました。男は自分の生まれ育ちやここへ来るいきさつなんか交えながら、旅の途中で出会った美しい生き物、恐ろしい噂、珍妙な祭りの話なんかをしてやりました。
 若いペンキ塗りと男は一晩ですっかりと仲良くなり、翌朝には、男の住むところの世話まで(正確には、下宿を世話してくれそうな知り合いの紹介まで)してもらいました。
「やあ、あなたのおかげでずいぶんと助かりました。しかしお礼をしようにも、私はまだこの国で仕事もない身です」
「やめれくれよ、こっちが昨日の礼だ。息子に夢のある話をあんなにも聞かせてくれたじゃないか」
 旅の話など、一宿一飯の恩義には足りないように男は思いましたが、ペンキ塗りが眉尻を下げてニシシと笑っておりましたので、それならと肩を叩いて礼だけを言いました。
「仕事も当てもなくなってしまったが、友だけはあるようだ」
 男はそっと足元の雪靴に目配せをして、ニシシと笑いました。

(続く)

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