素面-10(小説)

 綾下と行くといつも飯が美味くて、と斉藤は笑う。
 いつも、美味い飯と美味い酒を用意して、いつまでも飲んでいる。
 小奇麗な小料理屋の小上がり、電車ががたごとと煩い高架下のおでん屋、景色の微妙なイタリアン、テーブルの表面がいつもどこか油っぽい中華店、向かい合わせのこともあればカウンターで肩を寄せていた夜もある、必ずしも座り心地が良くはない、イスの一つから綾下はまだ立ち上がれない。
「勢いが良くないんだ、勢いが」
「また言う……」
「酒の入っていないときにしろ」
「あー、もう。わあったよ」
 酔ってんのか? と斉藤が覗き込んでくる。綾下は手で振り払うようにして、妙に無邪気な斉藤の目から逃げて、盃を煽る。酔っていると思われているから、多少のおかしな顔も見逃されるだろう。酒の席でのことだ、と言える。酔っているうちのことは信用ならないと言える。
 空になった器へ、綾下は手酌で酒をなみなみと注ぐ。斉藤の器も空なのを見つけて、注いでやっている途中で、徳利の中身が底を尽きた。すみませーん、と声を上げ熱燗を追加で一合。斉藤は半分ちょっとのお猪口の中身をぐいと飲み干して、ああ美味いなあ、と染み渡るような声を漏らした。
「おまえといるとホントに美味いのな」
「探してやってんだ、ありがたく思え」
「いつもゴチでーす」
「奢らねえぞ」
「ちぇ。……ははっ」
 おまえホント顔に出るよな、と斉藤が笑う。綾下の顔が赤いのを指差し指摘してくる。体質だから仕方ない。それでも、赤くなるほど飲んだりは普段、しない。顔に出るような仕事はしないし、分かりやすいと指摘してくるやつも、斉藤しかいないだろう。おかげで居酒屋の一席が、たとえ学校の古びた木製椅子みたいに座り心地悪くても、綾下は手放せないでいる。
 席替えをしないでくれなんて思う子どもみたいな感慨を握っている。

(続く)

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