毎日更新を本当に再開したい(日記)

 1か月くらいと言わず2か月か3か月近く更新を休んでしまった気がする。日記を書く。いつから休んでいたのかは怖いので今はまだ確かめていない。

 応募用の小説を書いてみようと思ってnote更新を中断していたのだが、それが無事に終わったと思ったタイミングで新たにゲームにはまったり(モンスターを狩るやつではない)、四半世紀の決着を映画館へ3回観に行ったり(エヴァもとい作品との出会いに関することは別途書きたいと思う)、もろもろ踏まえて要するに重い腰が上がらなかった。私は私という人間をよく知っているので、実に私らしいと言えば私らしいが、その私らしさをもう少し操縦できるようになりたいためのnote更新である。
 なんとか毎日更新を再開したい。

 書きかけになっている小説も続けたいと思っているし、ほかにも書きたいなと思ってアプリの下書きにあらすじだけ放り込んでいるものがあるので、細々とでも再開したいと思っている。
 二次創作の同人誌は出したことがある(出している)が、一次創作では出したことがないのでコミティアや文学フリマにも出てみたい。というか、行ってみたいのだがいかんせんご時世がご時世でうにゃうにゃ。言っても仕方ないことだが、仕方ないからこそ言いたくなるものである。

 よく、泣いても仕方がない、とか、泣いてどうにかなると思うな、なんてフレーズがある。あれを聞くたびに子どもの頃から不思議で仕方なかったのだが、「どうにもならないからこそ悲しくて泣いている」のに決まっているではないか。あるいは、「泣いたくらいでどうにかなるのだったらこんなふうに臆面もなく泣くなどできるものか」とも思う。
 ……こんなことを面と向かって9歳くらいの子どもに言われたら私なら素直に"嫌"だな、とは思う。14歳でもだいぶ嫌だ。まあまあひねくれた子どもがひねくれたまま大人になってしまった感じがある。両親は決してひねくれてはいなかったし、兄弟もしかり、なぜ私だけかようにひねくれ者なのかは生涯の謎である。
 そんなわけで、仕方のないことは多いが、言ってもどうにもならないから適当にソースを調べずモノが言えるというのも一側面ではあるわけで、どうにかするつもりがあってモノを喋るときには根拠と責任とを背負って立たなければならないものだよなあ、と思う。
 なんだか政治的な話っぽくなってしまったが別にそういうわけではない。なにも書くことがない気がするのに、いざ書き始めると取り留めもないことを書き続けていられるものだから、やはり私は書くことがすきなのだなあと思う次第である。

 「二度なかず」は去年の4月4日に生まれたので、1年ちょっと経ったことになる。うち、半年くらいはあまりなにもしていないので"正味"生後半月である。何者かになれるものか分からないし、今のところあまり何者でもなさそうだが、なにもかもをすっかり諦めて50年生きるよりは、あー何者にもなれなかったなー! と思って50年後に死ぬようでありたい。なにしろチャンスが50年分増えるはず、だからである。
 そんなこんなで引き続きよろしくお願いいたします。

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