すきなモノをすきと言えない気持ちも抱きしめておきたい(日記)

 日記を書く。

 なにしろ、本当はさっきまでゲームの感想(というか体験記)記事を書いていたのだが、途中でワケが分からなくなってしまって今日はやめたのである。毎日更新の再開を宣言して早々にこれでは格好がつかないので、日記を三行ほど書いておく。私のブラウザですでに五行ある。

 感想は鮮度だ、と思う。これは友人の受け売りである。友人もどこからか聞いたのかもしれないが、とにかく鮮度は鮮度である。落ち着いてからできる考察もある一方で、予備知識や他人の受け売り少なく、ただ「私」と「作品」との出会いによってだけ生まれる純粋な瞬間の感情の発露。そういうものの大切さは、それが理論だっていない主観的に過ぎるものだからといって、価値を失うものではない。
 けれどもさすがに感情そのままにnoteへ書くのはしのびないのと、近しい友人に興奮のまま話しかけるテンションと多少開けた場所へ書きしたためるときのモチベーションとは違う、とも思う。しかし寝かせている間に寝かせすぎてしまって今は何を書いたものか分からない。
 卒業アルバムを今更開くのはページが鉛のように重い、そんな気持ちに少し似ている気がする。

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