形式に迷う(日記)

 寝坊したためではないが今日は日記を書く。
 日記と呼ぶべきかどうか微妙だが、少なくとも小説やエッセイにはあたらないと思う。

 毎日note更新を年末から続けている。細切れ小説の日が多く、エッセイらしき日がたまにある。毎朝更新を基本としているが、やはり休日はそれが難しく夕方など適当な時間に更新することが多い。先日は夜中の1時だったが、翌朝にも更新したので「1日」の範囲に収まっていたことにしたい。
 細切れ小説と読んだのは、連載というのはもっと1話ごとの「単位」に気を遣ったものではないかしらと思うからだ。
 私のコレは名残惜しく引き留めるベッドと肌を刺すような寒さを押しのけて筆を取り、迫り来る出勤時間によって強引に区切られる、そういう「お話の効果として意図するわけではない単位」の更新である。連載というにはちょっと気が引ける。

 細切れの小説更新は、全体に何かを意図するには向かない。今のところ私は「毎日どんなに尻切れトンボでもいいから更新する」と決めた上で、修正はごくわずかな誤字脱字にのみ留めている。
 多少どうしても直すことはあろうが、「ありもしなかった1文」を翌日の更新分のために付け足す、というのは少し憚られる。自分の中のルールなので自分が許すならそれでいいのだが、自分が憚るというなら憚るのだろう。となると、伏線を丁寧に張って話を展開するのにはやや向かない。いやもちろん中には頭の中の伏線を常に放出し続けられる奇才だっているだろうが。

 細切れ、もっといえば下書きに近い。プロットよりは多少読み物の形を取っていますよ、というくらいである。これを晒すのはどうなのだろうとも思う。毎朝の20分、30分ではごりっごりの情景描写をやるに無理があるのだ。
 やはり毎日更新などという無茶はやめて、もっとしっかり完成度の高い(当社比)モノを出すべきではなかろうか。しかし、そうやってまた何も作らずに半年、一年、二年、眠って過ごすことになりはしないか?
 もう私は何かを作るために「今」を使わないのは人生があんまりもったいないから、やめたいのである。

 ここで最初にこのnoteの決まりを作ったときのことを思い出す。目的は「なんでもいいから毎日文章を書く時間を作る」である。
 文章を書くことは元々すきだ。読み書きの時間がもっとも安らかでいられる。書いていると集中をし過ぎるので、運良く座れた電車内でスマートフォンをぽちぽちなんてしているとすぐ最寄駅を過ぎる。
 だから正確には「書くことを習慣化したい」わけではない。「書く時間を作ることを習慣化したい」なのだ。
 月1の人も、週1の人も、3日に1回の人もいるだろう。頻度はともかく、必ず書く時間を作るようにして、それで生活ができるようでなくては。

 そうでなくては、まかり間違って文章を書くことで多少の金銭を得られる身になったときに、兼業作家ができないではないか。

 ああはずかしい、はずかしい。何も書いていないうちから作家になる日のことを考えている己がはずかしい! はずかしくて浅ましい。みにくくって消え去りたい。消えたい!
 一方で保険は捨てられない。福利厚生に守られたい。私は博打を打てないから、作家を目指して仕事を辞すことはできない(私には向かない方法というだけで、それだけの覚悟と選択をする人には畏敬の念を表したい)。
 これでも以前の勤め先よりはずいぶん体と心の自由が効くようになったので(主にほかの理由があって辞めたのだけれど)、ひとまず現在の勤め先には給与泥棒と言われないくらいの奉仕をしている。いまの職場もまだ副業は禁止されているので、せっかくnoteを始めたわりに投げ銭システムもやや使いにくい身だなと思ってはいるが、世の中は副業解禁の風も吹いている。強風に弊社が煽られるのが先か、私がなんらかの賞を取って上層部を黙らせるのが先かである。賞金は労働の対価とは少し性質が違うはずだし。

 私は怠けようと思うと、どこまでも怠けて泥の沼にどっぷり鼻の下まで沈む人間だから、外的な何かから強制的に管理されるほうが暮らしに向いている。それが会社勤めの勤務時間であり、ひいては、noteの毎日更新目標も似たようなものかなと思っている。
 自分が自由にできないルールの中で管理される身のほうが性に合うのだ。

 そんなのちっともアウトローじゃない、作家たるものはみ出し者たるべきだ、社会と組織に守られた立場からなんてろくなものができん。
 そういう理屈もあると思う。むかし、そういう話を聞いて夢見るのを辞めた。そしてきっとまた「そんなことくらいで諦める奴は元々何もできない」とか言い出す。世の中には他人に厳しさを求める行為そのものに快感を覚えて悦楽に入る人間がいる、ちゃんちゃらおかしいったら。
 それならそれでいい、なれないならなれないでも構わない。だけど「なれなかった」かどうかは死ぬときにやっと決まることだ。幸いにして私のなりたいものは年齢制限や身体機能による影響が(他分野よりは)少ないだろうから、しわくちゃのおばあちゃんになるまで夢を諦めなくていい。あれをやりたかった、これをやりたかったとベッドで嘆くだけの何もしなかった老女にはなるまい。

 そんなわけで、やっぱり毎日更新することにする。だけどまとめて読むにはやはり細切れがつらいから、完結した作品は1記事にまとめ直して加筆修正をして別途置こうかと思う。ほかのプラットフォームにも置いておこうか、考えている。いかんせんnoteは傍点が打てなくて困る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?