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いい歌詞がハマる時はプチプチと弾けて、甘美な音を立てる

今日は、レッスンで生徒様のオリジナル曲の歌詞に、手を添えさせていただいた。

全く書かない/歌わない(鼻歌程度も歌うに換算する)という日はここ数年、私にはない。

それがもう帰ったら手を洗う、うがいをするのと同じくらいには染みついた習慣…いや、もっとだ。水を飲む、痒い腕を掻くくらいのものだろうか。気づいたら何処にいても書いている。さすがに人と話している時はないものの、こっそりトイレと言って便座で書いていることもある。今はバスに揺られて移動の最中で。

だけど以前は違った。

これを生業にと定めた頃は、いつだってこれでいいの?って不安で仕方なかった。でも誰が良ければいいの?私が良ければいいのでは?と思うようになってから、毎日小さな例えやキャッチコピーをいろんなものに付けてやった。○○の××みたいな、とか他の人の例えを自分ならどういうかを考える。そして心の中で唱えたり、メモに残したりした。

そう、思うように操るにはこんな風にやってるんだーって生徒様へ書くセオリーを説明しながら、自分自身がへー、なるほどなぁと不思議と気付かされることもあった。意外と他にもいろんな複雑なルールを守りながら書いている私がいた。

今となっては確たる考えがあるものの、そこにすんなり辿り着くまでは、言葉が出るまでメモ帳を睨み向かい合った日もあった。締切がある、それまでにやり切ることで自分を追いやって。ちょっと華美になりすぎることもあったけど、出てきた目の前の言葉と音が、全て自分らしく素直である時、一番怖かったはずの孤独が大好きになっていた。

まだ一丁前とは言えないけど、ピタリとハマる時には私の心が驚くほどのエクスタシーを帯びている。パズルが収まったのに、その中で不思議とカタカタと息良く蠢く…そう、口の中に放り込んだドライ無花果を噛み締めた時のようだ(今、まさに食べていた。)

ぎゅっと噛めばジュワリ、プチプチと弾ける。それまで見かけシワシワでカラカラだった、お世辞にも見かけが良いとはいえない、期待しない果実が口の中で水を得て、ジュワジュワ、ヒタヒタと繊維と甘さが口いっぱいに広がり満ちていく。

きっと演奏する時はもっと心地よくて仕方ないのだろうな…。確信めいた、これという言葉が出た時には、今まで色々あったけど生きててよかった、とまでに大袈裟ながら思う訳で。だから書くことを毎日やめられない。楽曲の作詞はもちろんそう、ここに今ある全ての文字も全て写真には映らないし残せない。唯一、鮮明に心が生きた証だ。

歌詞を書くことについて深く考えた日になった。

そして歌詞を書く人やもっといえば物書きをする人達と、たくさん話がしたくなった。

みんなの考えが集まれば、それだけ色んな方法があるだろう。それが聞ける飲み会やお茶、ご飯なら何処へだって飛んで行きたいくらいだ。

いつも孤独な幸福で完結していることだから。

今日の幸せアイテム: キッチンマーケットのドライ無花果(ドライフルーツ詰め放題)

ルクアイーレの地下街には食品街があり、世界や日本の様々な場所からやってきた食材が集まる。奥手に進めば生鮮食品の保冷ケースが並ぶ中にドンと大きく構えている、ドライフルーツとナッツの量り売り・詰め放題のコーナー。

ドライフルーツもナッツもそれぞれに大きなボトルに、瓶によっては「早く取ってここから出してくれ」と言わんばかりにギュウギュウに詰められている。(また、詰め放題の袋にギチギチに入れられるかもしれないのによ)

もちろん、大きめのスーパーやカルディなどでも手に入るドライ無花果ですが、他の種類も、少しずつでも好きなだけ色々試せるのがこの詰め放題の魅力。

袋は3種類くらいのサイズがあり、ドライフルーツの場合はその中に詰められるだけ詰めて、チャックが閉まればOK。

ぱつんぱつんになった袋から少しずつ取り出して噛めば、脳に甘さと刺激が伝う。

物書きのおつまみに最適。


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