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「悪魔の証明」は数学的にはどうなるの?(悪魔の証明を数学的に証明することはできるの?)<後編>ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」㉜

法律用語がもとの、論証することが不可能か極めて難しいことを表わす「悪魔の証明」を数学的に考えると?
今回は後編です🖋

前編はこちら↓


「ドラえもん」はイデアではなく、個別の事象

「証明」についての理解を深めるために、別の例として「ドラえもんがこの世に存在しない」ことの証明を考えてみましょう。
物質還元主義の立場から言えば、これまでドラえもんがこの世に存在したことはありません。しかし、漫画やアニメという形で、ドラえもんは確かにこの世に存在します。そして、10人に「ドラえもんの絵を描いてください」と言えば、10人とも同じ青くて丸い狸のような絵を描きます。これが、「猫の絵を描いてください」と言った場合、10人とも違う猫の絵を描くはずです。この意味で、「猫」はプラトン的なイデアに相当しますが、「ドラえもん」はイデアではなく、個別の事象に相当します。
それでは改めて問います。「ドラえもんはこの世に存在しない」は真でしょうか、偽でしょうか。

これは答えることが難しい命題ですが、悪魔の証明だからではありません。「この世に存在する」の定義が曖昧で、命題として成立していないからです。先ほど挙げた【例2】に登場する「地球が何回回ったとき?」という質問も、本来は質問として成立していません。地球の回転には自転と公転の2種類があり、しかも「ある時刻からある時刻までの間」という指定が無いため、「回った回数」をそもそも定義できません。仮に「地球が誕生してから問題の事象が起きた時刻までの自転回数」だとしたら、地球が誕生して自転を開始した時刻を誰も正確に知らないので、誰も答えを知りません※2

※2 ですので、例として提示しておきながら、これが悪魔の証明の好例に当たるかどうかは疑問が残ります。

したがって、「悪魔の証明」と呼ばれるものは、「真偽を明確に定義でき、実在性に関わる命題のうち、時間と労力を無限にかけて信頼に足り得る証拠をすみずみまで集めた場合に答えが出せるものの証明」と言っても良いかもしれません。そして、多くの場合悪魔の証明を困難に陥らせる原因は、「時間と労力」だけではなく「信頼に足り得る証拠」でもあります※3

※3 過去の人が残した記録や、事件における物的証拠は、そもそも信頼できるかどうかを統一的な尺度で測ることができません。それでも人間は(愚かなもので)、何らかの統一的な尺度で「どれくらい信頼できるか」を測ろうとします。「ベイズ推定」は、そのような主観的な尺度でさえも定量化できるツールとして使われます。詳細は「神武天皇が実在した確率」を参照。


最後に命題を考えてみましょう。
「いわゆる『悪魔の証明』に分類されうる任意の命題は、証明不可能である」ことを証明あるいは反証することは、悪魔の証明に当たるでしょうか?



プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。


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