シェアオフィスに保育園がくっついていたら

現在フリーランスとしていろんな仕事をさせてもらっている。それはとてもラッキーで、ようやく最近バランスが取れてきたなと思っている。一つは保育施設を運営する社会福祉法人で、もう一つはアメリカの家電ブランドPR、そしてもう一つが演劇の広報業務。バラバラなジャンル、と思われるかもしれないが、そうでもなく、芸術・カルチャー、音楽が軸になっている。細かいことはあえて書かないけれど、仕事を通して繋がっている人たちはみんな、形は違えどそういうものが好きな人たちだ。

体調に合わせて自分のペースで仕事ができるし、あまり1箇所でべったりした人間関係だとしんどくなり、飽きっぽいタイプの自分としては、フリーランスという働き方をようやく構築できて、ようやく理想的なところに向かっていけているのかなと思っている。2ヶ月前までは、先の見通しが立たず、生活も赤字だったので、ちょっと不安になることはあったけど、今は新しいことが動き出して、何となくだけど、幸せなのかなと思えている。

さて、そうは言っても、日常でちょっとしたイライラは出てくるものだ。先日も、急な対応を要するメールが飛んできた時は、カチン、ときたのだけど、ふと目をやると、目の前で小さな子どもたちが走り回っている。

「あ、なんか私今イライラしてた?」

と我に帰る。メールチェックを保育園の中でしていたからなのだが、(それぞれのクライアントは契約形態異なりますが、拘束時間が該当する場合はその間は他のお仕事の実務はしていません、念の為!)それでふと、世の中のお父さんお母さんは、こうやってスイッチのオンオフをしているんだな、と思った。それまでお仕事モードだった脳みそが、玄関を開けたら走り寄ってくる我が子の笑顔で一気に家庭モードに切り替わる、とか。

保育園で働いて初めて気づいたことなのだけど、当たり前なことなのだが、この世は効率や経済至上主義だけで成り立っている訳ではない。それだけが至高の価値だとしたら、ロボットやAIだけで回っていればいい話だし、そういう思考は、働けない人は社会のゴミ、のような危険思想に繋がりかねない。私はフリーランスとしてお金を節約する時期を経験して改めて思ったけど、人間は無駄と欲望のために生きていると思っている。余白や愛すべき無駄こそ、私たちが享受すべきもの。お金を稼いで生活だけするなら、人生は相当味気ないものになってしまうだろう。

子どもは、効率なんて価値観はないので、自分のペースでガンガン仕事の「邪魔」をしてくる。だから、オフィス空間を考えた時に、子どもは排除される。親たちは皆、子どもを保育園に預ける。でも、待てよ…?ちょっと集中して作業する間、誰かがすぐそばで見ててくれて、手が空いたら遊んで、というのができたら、気分転換にもなるし、ある程度身元がわかっている人が集まるシェアオフィスと、保育園が近くにあったら、「生産性」なるものはグッと上がるのではないだろうか。

世の中、どんどん何でも分けて、細分化して、分業化を深化させているけれど、それが必ずしも便利な世の中かというと、そうでもない。もちろん、保育士さんが常に付いていてくれる保育園だからこそ、私はちょっと手が空いた時に、自分の距離感で子どもと関われるという幸運さはあるにせよ、(四六時中子どもに関わっていなければという主婦・主夫にはまた別の意見や視点があるだろう)いろんな要素が人生にバランスよく入ってくる、というのがとても心地よい気がするのだ。

いろんなものを、ごちゃごちゃにして、一見無駄、と思えるものを、意図的に生んでみると、あら不思議。その無駄な時間は、とても贅沢な時間になっているかもしれない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?