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noteは「表現は自由だ」と思い出させてくれる世界

今日は、花びらの帯留めを作っていました。好きだ!いっぱい作りたい!と思えた久しぶりのシリーズ。こうして元気に作れているのは、noteがあるからだなと思います。

新しい方をフォローすると、noteの中に世界が広がる。

好きになった人の記事を読む→その方が記事で紹介している人や、オススメに出てくる記事を読む→また新しい表現の方に出会える→私、元気になる。

これが、最近のループ。

そうしていくうちに、改めて思い出せたのが『表現は自由だ』ということ。

SNSが普及して、インターネットは公の場という認識に変化してきた昨今。

昔とは、接し方が変わってきました。

20年ほど前は、まだインターネット=アンダーグラウンドの世界。

覚えていますか?カウンター・キリ番・合言葉を打ち込んで入る、裏部屋。ホーム画面の壁紙に隠された入口。笑

閉鎖的な空気で、インターネットはオタクが使うもの。というような印象があったけれど、同時に個人の安らぎもあった。秘密が守られた場所でもあり、偏った趣味嗜好が、誰に裁かれるでもなく存在できていました。

noteはもっと健全とはいえ、古き良きエッセンスに触れさせてくれるような感覚があります。

こんな風に表現したら、嫌われるかな。とか。こんな表現、誰も見てくれないだろう。とか。

そんな記事に価値を感じるのが、noteの世界。

広がりっぱなしで不安定な世界で、心地よい収まりを与えてくれるのがnoteという機能なのだ。少なくとも、私はそんな記事を読み、元気をもらったり、新しい考え方に触れて『そんな風に捉えたことなかった』と目から鱗を楽しんだりしています。

クリエイターの方・私のようなHPSの方・トランスジェンダーの方から占い師まで。

ここには、いろんな人がいる。

そして、そんな人たちの文章を、疑いというフィルターを取り去って読み物として与えてくれるのがnote。

少なくとも、今の私にとってはそう。居心地の悪い差異を取り払い、感性というものについて改めて触れさせてくれています。

きっと、noteに向かう時、人は文章を通して誰かに何かを与えることに意識的になれるのでしょう。

ブログや名刺がわりのSNSで見るのとは違う世界が、そこにはあって。

ここの空気が、私は好きです。

インターネットの世界にも、進化と統合がある。それを繰り返しながら、新しいものが生まれている。

そのなかで、表現の仕方について考えることは多々あるけれど。その人が実名では出せない純粋な一部を、文章にして残せる場所は存在し続けてほしい。

そして、それを収入源にできる人が、もっと増えたらいいのに。と思っています。

表現の世界は自由だ。そして、人の心の世界も自由であってほしい。

犯罪につながることは別問題として、表現してもいいのに押し込まなければいけないことは沢山あるから。

読み物としては、許される。

そんな表現の場としてのnoteが、これからも残り続けることを望む。人の顔色を見ない文章を、どうかこれからも書き続けてください。私はそれで、今日も元気をもらっています。

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