怪談03 山

今から数年前のこと。

空気も冷たくなった、秋の暮れ。

巨石と自然信仰のことを調べていた私は、その日、一本の老木を山で探していました。

そこは古くからの歴史がある場所で、樹齢数百年から千年の木々が祀られている場所。探していたのは、その中の一本でした。

麓から車で1時間以上山を登る場所にあり、ガードレールはあるものの、建物のほとんどは空き家。ぽつりぽつりと民家や商店が並んでいて、寂れてはいるけれど公共の建物もあり、昔はそれなりに人がいた場所であろうことが想像出来ます。

その地域に点在する木々を巡りながら、一人写真を撮りつつ道を進んでいたのですが、当時の私は子供が小さかったこともあり、ある程度の時間には切り上げて、お迎えに行かなければなりません。

少しずつ時間は進み、体力も気力も減ってくる。そろそろ切り上げようかなと思うものの、最後に目的の一本を訪ねたかったため、途中の駐在所で距離を尋ねてみることにしました。

「ああ、この木な。もう少し進んだら、行けますよ。10分くらいかな。」

駐在さんの言葉を信じて、それならば今日のうちに訪ねられるなと車を進めると「○○の木への登山はここから」という看板が立っています。

ああ、良かった…見つけた。そう思い、車を駐車スペースに停めて、看板に目をやりました。

その木にたどり着くには、山の斜面を登りながら、赤い印のついた木を辿っていけば辿り着けるとのこと。あと少しだと思いつつ、足を踏ん張りながら少しずつ登っていくのですが、どうしても途中から目印を見失ってしまいます。

あれ?おかしいなと思い、また元に戻ってはやり直すものの、また見失って、やり直し…そうこうしているうちに、少し日が落ちてきました。

もう帰路に着かねばならない。でも、もうすぐ近くにあるかもしれないのにな。そんな思いが交互に浮かんでいたものの

この時、私は一つだけ決めていたことがありました。

それは、車が見える範囲に、絶対にいる。それ以上は山に入らない。ということです。

山に一人で向かうことは、危険が伴います。ましてや、携帯の電波は入らない場所。何より怪我なく家に帰ることが優先…と思っていたので、車が見えなくなるような距離には行かないということを決めて、木を探していました。

それを思い出して、車は見えるか…と振り返ると、ちゃんと移動可能な距離に見つけることが出来ました。

が、安心したその時です。

背後から、ヒュッ!と足元を山の冷えた風が降りていきました。その瞬間、あたりの空気が変わりはじめたのです。

あ、これはダメだ。何か変。帰ろう。

そう思って斜面に背を向け、車に戻るために足元を見ると、それまで私が何度も歩いたはずの場所の足跡が、一切無くなっています。

季節は冬の前。落ち葉も程よく積もり、先程の風で均されたのか…と思うけれど、あまりに辿ってきた道のりが分からなくなっていたため、きっとこうして、みんな遭難していくのだろうとゾッとして、急いで戻り車を出しました。

先ほどまで照らされていた町や道も、グイグイと山の影に飲み込まれていくなかで、周りの気配が一変していきます。

千と千尋の神隠しはご覧になったことはありますか?千尋の両親が豚になった後、街が夜を迎えて黒い影が動き出すシーン。あれと似た空気です。

ここから、人間の時間じゃなくなるんだ…山には、昼の顔と夜の顔があるんだ。ということを知ったのは、この時でした。

背後から影が迫ってくる感覚に追われながら『無事に帰る!無事に帰る!絶対無事に帰る!!』と何度も口に出して山を降りたことを、今でも覚えています。

みんなが行くような場所だから・観光地だから・人が住んでいるから、大丈夫。そう思って足を運ぶことは簡単かもしれません。しかし、戻ることができるとは限りません。

山には、山のルールがある。山には、山のものたちの時間がある。それは、人を守ってはくれない。

あの時、木を見られなかったことは残念でしたが、今も家に帰って普通に暮らせていることが幸せだなと感じます。外界から閉ざされた場所は、人の住む場所にはなりきらない。けれどだからこそ、素晴らしい自然と畏れ多い神様たちの居場所として、大切にされ続けるのだろうなと。

そんなことを、今でもその頃の写真を見返して思い出すのでした。


このお話は、ノンフィクションとフィクションの隙間で制作しています。非日常を感じるお楽しみとして、ご覧ください。


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