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だけど願いはかなわない 第二十二話「純(前編)」


消防学校での研修時代、座学中に講師がした余談が印象的で、今もその内容を覚えている。

日本の受刑者のうち、女性受刑者の割合は約一割。しかし放火犯のみで見た場合、女性放火犯の割合は二割を超える。そしてある海外の大学がまとめたデータによると、女性放火犯には固有の特徴がみられるらしい。

放火犯の動機で多いのは、怨恨や利欲目的(保険金や強盗)、つまり、恨んでいる相手や金銭という、明確なターゲットがあった上で犯行に及ぶ。ところが、女性放火犯に限って言うと、その動機の七割以上が鬱憤晴らしや快感目的なのだという。

その講師は、仕事と言うより趣味としてではあるが女性放火犯について研究した事があると語り、「これは私の個人的な見解だが」と付け加えた上でこう言った。これはもしかしたら、男性に比べて弱者になる事の多い女性が、炎の力を借りる事で強くなった気分を手に入れるという誤った代償行為なのかもしれない、と。

そして、再度「あくまで個人的に感じた事だが」と念を押した上で、まるで吐き出すような口調で言った。

「窃盗犯や暴行犯の女性受刑者と比べて、女性放火犯のみに感じた奇妙な共通点があった。ーーーーーもともとの顔つきや美醜とは関係無く、何とも言えない嫌ぁな顔をしているんだ。」


・・・・・


今日の待ち合わせを決めるやりとりの中で、私の職場、つまり鬼塚さんの自宅とハルキ君のアパートは、意外や意外、たった二駅しか離れていない事を今更知った。

今日は私の終業が大分遅くなると予想した上で、ハルキ君との食事の待ち合わせは鬼塚さんの最寄り駅にしていた。けれど思いがけず仕事が早く終わり…と言うより、強制的に終わらせたのだけれど、とにかく、ハルキ君に連絡をすると彼の方がやっと職場の方から電車に乗ったばかりで、そのままこちらに向かうという事だった。

寒空の下、予想外にぽっかり空いたこの時間をどう埋めようかと思案していると、バッグの中でスマホが鳴った。

画面には『お母さん』と表示されている。

駅前のエントランスホールの端に寄り、「もしもし」と通話に出ると、母親のいつもの明るい声が聞こえて来た。

『もしもし、ジュン、久し振り。今、お家?電話、大丈夫?』

「外だけど大丈夫だよ。どうしたの?」

『あのね、貴方、お見合いしてみる気は無い?』

「突然何!?」

それは、正に藪から棒だった。

私も三十を過ぎ、古い価値観にとらわれた田舎では『いきおくれ』とカテゴライズされる事はある。けれど、私の母親に限って言えば、娘の年齢に焦って結婚話をもちかけたりするタイプとはほど遠いのだ。

幼い頃から可愛がっているあおいちゃんが同性愛者である事を知った時も、「あらそうなの~。じゃあ、俳優で言うと誰がタイプ?私はね~」と、瞬時に長年のファンである俳優の話にすり替えてしまったこの母は、良く言えば柔軟な思考の持ち主で、つまり何というか、世間と少しズレているのだ。

『ごめんごめん、驚かせちゃった?あのね、貴方がこの前こっちに帰って来た時、ホームセンターでお母さんのパート先の社長にばったり会ったでしょう?覚えてる?』

「ああ、あの眼鏡の人?覚えてるよ。まさか社長さんが私より年下だなんて、びっくりしたもん。」

『そうそう、眼鏡の二代目ね。でね、最近忘年会があったんだけど、社長がわざわざ私の隣の席に来て貴方の事について色々聞くのよ。それで、ほら、お母さん勘が良いからピンときちゃって。ウチの娘を気に入ったんですかって言ったら、社長、顔真っ赤にして、娘さんに良い人がいらっしゃらないのであれば正式にお見合いを申し込ませて下さい、なんて言うのよ。だからまあ、一応貴方の意思を聞くだけ聞いておこうと思って。あ、そうそう、ジュン、あなた誰か良い人居るの?』

ーーーーー良い人。

そう言われて当り前の様に真っ先に浮かんだのは、優しげな瞳のハルキ君でも、悪童のような笑顔の鬼塚さんでも無く、私の朗読に耳を傾けているシロさんの横顔だった。

一滴、寂しさの粒が胸の中にポツリと落ち、じんわりと染みになって広がっていく。

けれど止まることを知らない母親のお喋りは、私が感傷に浸る隙すら与えてはくれなかった。

『まぁ、あおい君と住んでたら男も寄って来ないでしょうけど。あ、あおい君と言えばね、この前普段行かないスーパーに行ったら、駐車場で貴方達の同級生のお母さんにばったり会って。ほら、山本君、覚えてる?東京でお医者さんになってるんでしょう?凄いわよね。それでね、その山本君のお母さんが…。』

「お母さん、それ、話しが逸れてない?結局、本題は私にお見合いをする気があるかどうかでしょう?無いよ。」

母親の長話に冷えた身体が無意識に背中を丸め、手持ち無沙汰な左手はコートのポケットに暖を求めた。ポケットの中、冷たい指先がコツンと固い物に当たった。取り出して見てみると、それは仕事用に鬼塚さんから渡されている極小ガラパゴス携帯だった。

『そっか、社長ってけっこう良い子だし、真剣みたいだから勿体ないとは思うんだけど。まぁ、貴方が乗り気じゃ無いなら仕方ないわね。』

母親との会話を続けながら携帯電話の小さな液晶画面に目を通すと、着信三件、留守電一件と表示されていた。しまった、何かのタイミングで着信音をオフにしたままだったらしい。

慌てて確認すると、それらは全て鬼塚さんからだった。と言う事は、留守電の内容はおそらく早々と職場を後にした私への恨み言だろう。着信音をオンにして再度ポケットに仕舞い、とりあえずは母親の用件を終わらせる事を優先させた。

「うん、申し訳無いけど断っておいて。もし食い下がってこられても、目玉焼きも作れない娘ですって言ったら逃げ出すんじゃない?」

『貴方、まだ火が怖いだなんて原始人みたいな事言ってるの?』

「原始人って…怖い物は仕方ないじゃない。」

『だって、あんなの嘘の記憶なのに?』

「え……。」

ふいに強い北風がエントランスホールを突き抜け、首筋が激しい悪寒に襲われた。

それとほぼ同時、小さな着信音が鳴り始め、コートのポケットを振動させながら私に訴えかけてきた。私は、呆然とそれをやり過ごす。

母が、言葉を続ける。

『貴方、中学生の時に急に言い出したのよ?幼稚園児の頃にシロウ君達も一緒に花火をしてたら浴衣に火が点いた、なんて。あれ、嘘なのよ。最初は私もお父さんもびっくりしちゃったけど、まあ、思春期だったから、何か変な映画でも観て影響されちゃったんでしょうって事でそっとしてたんだけど。それにしても、まだ思い込んでるなんてね。そんな体験、してないわよ。だって、小学校でも調理実習はやってたはずだし、それに、一人娘がそんな危険な目に遭ってたら、お母さん達が忘れるはずが無いでしょう?』

ポケットの中の電子音が切り替わり、留守電に繋がった事を告げた。

北風は止まず、エントランスホールを行き交う人々の足は速度を増している。

駅の人混みの中、私はまるで一人取り残されたように棒立ちになり、未だ電話口の向こうで続く母親のお喋りに「仕事の電話がかかってきてるみたいだからごめんね」と、一方的に終止符を打った。

ーーーーーああ、これもそうだったのか。

胸のざわつきを掻き散らすように深呼吸をし、ポケットの中の携帯電話を改めて取り出す。

留守電を再生しようとしたその時、鬼塚さんから五回目の着信があった。さすがに何かあったのかもしれないと嫌な予感に包まれながら通話ボタンを押す。

「もしもし!すみません、今気付きました。」

『寒ぃよ!お前、今どこなんだよ!?』

鬼塚さんの声が、私の目の前にかかっていた薄い膜を一瞬で剥ぎ取り、強制的に現実に引き戻す。

私は謎の安心感に包まれ、少し笑って答えた。

「駅前です。定時を過ぎても戻られなかったので、退勤させていただきました。」

『何、勝手に帰ってんだよ!鍵!俺、鍵持って無ぇの!!駅前な!?すぐ行くから待っててくれよ、凍死しちまう!!』

「外なんですか?私が引き返しますよ。近くまで来たらまた連絡しますから、それまでコンビニにでも……もしもし?…鬼塚さん?…もしもし…。」

おかしなタイミングで途切れた電話をかけ直すと、電話口から聞こえてきたのは鬼塚さんの声ではなく、『貴方のおかけになった電話は現在電波の届かない所にあるか、電源が入っていないためかかりません』というアナウンスだった。

つまり、いつも適当に放置している鬼塚さんの携帯電話の充電が、最悪のタイミングで切れたのだ。

「どうしよう…。」

引き返しますと言った私の言葉は、どこまで彼の耳に届いたのだろうか。そして、仮に鬼塚さんが既に駅に向かっていると仮定して私がこのまま待っていても、連絡を取る手段が無いのであればすんなり合流できるかは運次第だ。

これは、上手く立ち回らなければかなりの時間を費やす事になりそうだ。

とりあえず、ハルキ君との約束は延期してもらうべきだろうか。悩みながらスマホを手に取ると、正にちょうどのタイミングで『あと一駅で着きます』というメッセージが届いた。


・・・・・


「慰謝料の請求は無し、その代わり財産分与も無し。ただし、引っ越し代と当座の生活費として現金で百万円用意しますとの事です。」

役立たずの女弁護士が、言った。

「慰謝料も財産分与も無し…?たった百万ぽっちだなんて、私、これからどうしたらいいの!?」

「…何か勘違いしていませんか?慰謝料無しと言うのは、旦那さん…いえ、元旦那さんがこちらに請求しないという事です。有責配偶者は貴方なので、貴方の方から元旦那さんに慰謝料を請求する事はできませんよ。」

いちいち上から目線の話し方が癪に障る。こいつの弁護士事務所は『女性の味方』なんてネット広告を出しているくせに、親身にしてくれたのは最初の数ヶ月だけだった。

「財産分与は!?あの人の持ってるお金、私が半分もらえるんでしょ?」

「貴方の条件だと、財産分与の額はたかが知れてます。慰謝料請求と相殺してその上で百万円いただけるというのは、正直かなりの温情措置ですよ。元旦那さんに感謝するべきです。」

「嘘!だってあの人、マンションだって持ってるのに!!」

「相続分や結婚前の貯金などは、特有財産と言ってそれぞれお互いのものです。夫婦の共有の財産では無いので、財産分与には含まれません。これ以上の好条件が出る事はまず無いでしょう。元旦那さんがその気になれば、今からでもあなたに慰謝料請求する事ができるんですよ?相手が歩み寄ってくれている間に手を打ちましょう。」

奈落の底に突き落とされたような気がした。先日、やたらとイライラする日があり、半ばやけくそになって離婚届に判を押してあいつの弁護士に送りつけてやった。けれどそれは、どんなに少なくともあのマンションの査定額の半分は手に入ると思ったからだ。

なのに、私がもらえるのは百万円ぽっち。いや、その百万ですら奪われる可能性があるだなんて。

そして私の味方であるはずのこの女弁護士は、一重の小さな瞳を吊り上げ、私を完全に見下しながら言った。

「あのですね、この程度の事はもう何度も説明済みなんです。貴方が聞いていなかっただけ。そもそも離婚、二度目ですよね?どうしてこんな基本的な事も知らないんですか?」

うるさい。黙れ、不細工のクセに。一回目の時はこっちは弁護士なんか付けてなかったし、あっち側の肥満体の弁護士に色々言いくるめられたんだよ。

「今まで何度も私の忠告を無視した行動をとり続けて、挙げ句の果てに何の相談も無く離婚届を渡すだなんて…今更私を頼られても、こちらとしても手の打ちようがありませんよ。」

あんたはブスだから、勉強しかしてこなかったんでしょう?だから、私の事を妬んで、私が馬鹿女子高校しか出てないって、自分が私に勝てるそのたった一点を笑ってるに決まってるんだ。

灰色の感情が私の胸を埋め尽くす。悔しい。悔しい!!

私は肩をふるわせながら、百万円というはした金で全てを終わらせるという書類に押印した。それは、最大級の屈辱だった。

「お疲れ様でした。」

そう言って書類を取り上げた女弁護士を睨みながら見上げるとーーーーーその左手の薬指には、シンプルなゴールドリングが輝いていた。

ぐにゃり、と音を立てて、私を包む世界が変形した。

どうしてあんたみたいなブスが結婚してて、私が離婚するハメになるの?

ああ、でも、そんな安物の指輪、してるだけみっともないって分らないのかな?

そっか、ブスだから、ろくにアクセサリーも貰った事が無くて舞い上がってるんだ。

笑わせる。

どうせあんたの旦那なんか、あんたの金目当てで結婚したんじゃない?

私なんか、一回目の結婚の時、周りがびっくりするくらい大きなダイヤをもらったんだから。

そう、私にはそれだけの価値があるの。

そう言えば、あのダイヤ、どこにあるんだろう。

『特有財産』。そうだ、あれは私がもらったものだから、私のものに決まってる。

あの脚本家、まだあの古くさい一軒家に住んでるんだろうか。返してもらわなきゃ。

そうだ、返してもらおう。

そして、あの指輪をして…そうすれば、脚本家の妻だった頃に戻れる。

行かなきゃ…ううん、違う。

帰ろう ──── 。






つづく


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残りのお話は

・第二十三話「純(中編)」

・第二十四話「純(後編)」

・終章

↑上記で終了の予定です。最後までお付き合いいただけましたら幸いです。

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