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だけど願いはかなわない 第二十話「兄弟(前編)」

【読者様へ】

※2021年9月1日に、序章~第十九話を加筆・修正しています※

更新をリアルタイムでお読みいただいていた方は、下記二点にご注意下さい。

同居人の「フミちゃん」の名前が「あおいちゃん」に変わりました。これは、フミとスミでややこしかったので、修正の際は別の名前に変えようと決めていました。慣れるまで違和感があると思いますがよろしくお願いします。

②加筆修正は全体的にしていますが、物語の根幹に関わる部分の変更は一点のみです、第十五話『初恋』ラストの方に追加シーンがあります。

(ラストのジュンとあおいちゃんの食事シーン、約1,500文字)

↓今回のお話の前に是非コチラの追加シーンを先にお読み下さい↓

では、本編をお楽しみ下さい。

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『アインシュタインは物理を愛し、テッド・バンディは殺人に魅入られた』

あれは、兄貴が居なくなってどのくらい経った頃だっただろうか。

ある晩、ネットでの調べ物を終えた後、そのままネットサーフィンを続けていた俺の目に、とある個人サイトのトップ画面にあった一文が飛び込んできたのだ。

それは高IQの人物達に着目して紹介しているサイトで、そこではいわゆる偉人や天才と称される人物だけで無く、それらと比較するように知能の高いシリアルキラー達についてもまとめられていた。

少なくとも三十人以上の女性を殺害したとされるテッド・バンディのIQは百三十とも百六十とも言われ、難関のロースクール(法律学校)に在籍。自身が被告人とされる裁判で弁護士をクビにし、テッド・バンディ本人が自らの弁護を行った逸話が有名だ。

そんなシリアルキラー達のおぞましい犯行が綴られたページをスクロールしている最中、ふと、マウスを操作する手が、ある人物の項目で止まった。
その人物の名前は、セオドア・ジョン・カジンスキー。FBIの歴史上、最も捜査に予算と時間がかかったとされる単独犯だ。

十六回もの連続爆破事件を起こしたテロリストで、その標的が大学と航空機だったため University and Airline bomber 、通称『ユナボマー』と呼ばれている。小学校五年生の際に受けた知能テストの結果は、IQ百六十七。十六歳でハーバード大学に進学。カジンスキーは数学界において正に神童で、その論文は「アメリカでも理解出来るのは十人程度だろう」と評された。

彼は、今現在も『八回分の終身刑』に服している。

逮捕のきっかけとなったのは、ワシントンポスト紙に掲載された匿名の犯行声明文。それを読んだ人物が、カジンスキーの論調と酷似しているとFBIに通報した事だった。

通報者は、ディヴィット・カジンスキー。カジンスキーの実の弟だ。


・・・・・


呪いが解けて自由になるのか、受け止めきれずに壊れてしまうのか。

全てを知った時、ジュンはどうなるのだろう。

彼女には知る権利があり、それと同時、知らずにいる権利もある。問題は、彼女自身がその選択肢の存在すら知らない事、そしてその全てを俺だけが握っている事だ。

「春日さん、今日は突然すみません。お時間をいただき感謝します。」

そう言って店先で深々と頭を下げた俺を、春日さんは焦り気味に制止した。

「やめて下さい、お礼を言わなきゃいけないのは僕の方です。受診の件も妻の件も、ご迷惑をおかけしたままで本当に申し訳なく思っています。」

平日深夜のファミレスはほとんどが空席で、まばらな客達もそれぞれの意識の内側に籠もっているらしく、この時間帯特有の静けさに包まれている。

その中で少々異質な俺達は居心地の悪さを覚えて一番隅の窓際の席を選び、取り急ぎ注文したドリンクバーのコーヒーを手にして改めて着席した。

俺は「早速ですが本題に入らせていただきます」と前置きし、白い封筒を取り出して春日さんのコーヒーカップの横に添えた。

「急にこんな話しをして驚かせてしまうと思うのですが、春日さんを見込んでのお願いです。」

自分の口からすらすらと出てくる言葉が、まるでスクリーン越しに見る映画の台詞の様だった。全くもって現実感が無い。夢ならそろそろ覚める頃だと思いつつ、話しを続ける。

「この封筒の中には、俺からジュンへ充てた手紙が入っています。もし俺の身に何かあった時は、この手紙を ーーーーー 読んでいただけないでしょうか。」

「彼女に渡すのでは無く、僕が…ですか?」

春日さんが、肩透かしを食らったような声で言った。それは、至極真っ当な疑問だった。

「はい。その上で、ジュンに伝えるべき内容だと思われたらそのまま手紙を渡して下さい。そうでないと判断されるなら、そのまま春日さんの胸に仕舞っていただきたいです。」

春日さんはしばらく黙って考え込んでいたが、ふいに俺と目が合うとゆっくりと一つ頷き、封筒を手に取ってジャケットの内ポケットに仕舞い込んでくれた。

白い封筒が彼の胸に納められた瞬間、俺は不思議と肩が軽くなったような感覚に包まれ、思わず安堵のため息をつく。

「ありがとうございます。」

「お話は分りました。何が書かれてあるのかは聞きませんし、不用意に封を開ける事も無いとお約束します。ただ、一つだけ質問をさせて下さい。『俺の身に何かあったら』というのは、その…何かが起こる可能性があるという事でしょうか?いえ、職業柄、常に危険と隣り合わせだという事は分かりますが…。」

これも当然の疑問だった。通常、こういったお願いをするのであれば、メッセンジャーとしての役割を何十年後でもこなせるような人物、つまり身内やそうで無くとも長い付き合いの友人を選ぶだろう。

実際、ここ最近俺と知り合ったばかりの彼に白羽の矢を立てたのは、この手紙を開封するイベントが発生するとすればそう遠い未来では無いという事を想定した上でだった。

今、俺に何かが起これば、ジュンの精神的な支えになってくれるのはきっと春日さんだろう。

質問に答える前に、テーブル左側面に広がるファミレス特有の大きな窓に視線を奪われた。野外の暗闇と蛍光灯の明かりの狭間、光の透過を阻まれた窓ガラスは巨大な鏡になって俺の姿を映し出している。

今まで自分は、どちらかと言うと精神力の強い部類の人間だと思っていた。思春期に深いダメージを喰らったあの頃も、ジュンへの贖罪を背負ったあの晩も、初めて火災現場で焼死体を目の当たりにした日も、俺の視線は常に前を、その先の未来を向いていた。

けれど今、ガラスの向こうに居る男は、まるで死んだ魚のような目でこちらを見ている。

「先週、腫瘍マーカー検査を受けました。…いや違う、検査をしたのは先々週で、結果を聞いたのが先週です。前々から不調があって、でもわざわざ受診するほどの事では無くて…小中の同級生がこっちで医者になってるんですけど、そいつと久し振りに連絡を取る機会があって、雑談がてら話をしたら受診をすすめられて…。」

時系列がバラバラのまま、口をついて出てきた順に言葉を並べた。春日さんは真剣な表情で俺の言葉に耳を傾けていて、その面持ちもまた俺を臆病にさせた。

ふと、大学時代のサークル仲間の顔が頭に浮かんだ。かなりの高身長な上、俺でも羨む程の筋肉質な体つきをしたそいつは、神に与えられた恵まれた身体という事で、God(神)と、それから本名の後藤をかけて『ゴット』というあだ名で呼ばれていた。

そんな強靱な肉体を持つゴットは、意外や意外、幽霊の類いが大の苦手で、小学生向けの怖い動画を見ただけで夜道を帰れなくなるような繊細な男だった。

なぜ、今この時に彼を思い出すのか。

俺は手付かずだったコーヒーを口に運び、混乱する頭に無理矢理カフェインを注入させた。勢いが止まらず、一気に飲み干す。

「大丈夫ですか?あの、水かコーヒーのおかわり持ってきましょうか?」

春日さんが立ち上がろうとしてテーブルについた手に、反射的に自分の右手を重ねて静止する。

自分でも驚く事に、その俺の手は小刻みに震えていた。

春日さんが浮かしかけた腰を下ろし、静かに俺に向き直る。

俺はそっと手を引き、震える右手を受け止めるように左手ですくい上げたが、その左手すらも同じように振動していた。しかし、とにかく今は話しをしなければと必死に口を開く。


「…精巣癌でした。」

目の前の春日さんの童顔が、険しい顔つきに変わった。

「ジュンには言っていません。いずれは知られてしまうと思いますが、俺から打ち明けるつもりはありません。」

春日さんは黙ったままで、慎重に言葉を選ぼうとしているのが伝わってくる。何も言われずとも、その優しさが今は有り難かった。

初めて「自分は癌だ」と口にする瞬間は、まるでその事によって本当に癌である事が確定してしまうような錯覚に陥り、想像以上の恐怖心を伴っていた。告白相手として春日さんを選んだのは、この人ならば不用意な発言で相手を傷付ける事は無いだろうという無意識の甘えもあったのだと思う。

おかげで少しだけ取り戻した落ち着きを逃すまいと、畳みかけるように自分の意思を伝えた。

「ちょうど、同居の解消を話し合っていた所でした。この事を知れば、あいつは俺の側から離れないでしょう。だから、少なくとも引っ越しが終わるまでは隠し通すつもりです。」

「…それはどうしてですか?彼女は知りたいでしょうし、治療のためにも同居人は居た方がいいと思います。」

本来、彼の立場からすれば、惚れた女の身内面をしている男の存在など邪魔でしか無いはずだ。そういった打算が一切含まれないこの言葉と彼の人柄が、また少し俺の気持ちを救ってくれた。

「俺と居れば、ジュンはいつまでも兄貴との思い出に縛られたままになる。もういい加減、自由にしてやりたいんです。」

「自由…。」

春日さんは俺の言葉を反芻するようにゆっくりと繰り返し、そして手元のコーヒーに視線を落としてポツリと呟いた。

「それが彼女の幸せ…なんでしょうか。」

その言葉は半ば自問自答している様でもあり、その夜俺達はそれぞれ正解の見えない問いを胸にしたまま帰路についた。



玄関ドアを開けると、毛布にくるまったまま壁にもたれかかって眠るジュンの姿があった。

毛布ごと抱きかかえて部屋まで運び、そっとベッドに横たえる。枕が二つ並ぶダブルベッドは、ずっと隣が不在のままだ。

布団をかけるとジュンの瞳が一瞬だけ薄く開き、その独り寝のダブルベッドで当り前のように左端に寄った。






つづく

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