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心理士、感情を言葉にしたい。してほしい。

どなたの記事だったかは覚えていないけれど、
noteでタイに関する記事を読み漁っていたときに出会った、
「タイ人がキレやすいのは、
 ネガティブな感情を表現する言葉がタイ語に少ないからだ」

という文章が印象的だった。


感情を言葉にすること。

私自身はタイ語については初心者以外の何者でもなく、
感情についての語彙に関しては
「サバーイ(気分が良い)」
「マイサバーイ(気分が良くない)」
この2つしかわからないので、
上記の「ネガティブな感情を表現するタイ語が少ない」
ということに関する真偽はわからない。

しかし、
感情を表す語彙が少ないとキレやすい。
というのはおそらく真実で、
キレやすいとまではいかなくても、
不全感を抱くことは非常に多いと思われる。

かの有名なヘレン・ケラーに関して、
〝視力と聴力を病気で失っていたために、
 両親もしつけができず「わがまま」に育った〟
と記述されているものがある。

しかし、
私はこれに関しては、
自身の感情は発達するのに対し、
それを表現する方法をインプットもアウトプットもすることができず、
自分の感情を持て余して、
苛立ちとして表現していたのではないかと思っている。

実際、子ども用の伝記を読んでも、
「自分の気持ちをわかってもらえないことが悔しくて、
 暴れたり、わめきちらしたりするようになりました。」

と表記されているものもあった。
(ヘレン・ケラーに関しては、子ども用の伝記などを読んだだけなので、
 あまり詳しい事実は知らない状態で書いてます。)

そう思うと、
自分の思いを相手に伝えることができないというのは、
相当な負担でありストレスを抱えることになるということが想像できる。

ダブルリミテッドという概念。

私は仕事柄、
いろいろな事情を抱える子たち、
そして親たちに関わってきて、
〝自分の想いを表現できなくて暴れる〟
という子の話も聞いたことがある。

残念ながら継続的に関わることができなかったので、
私には何もできなかったのだけれど、
その後、
そのケースについて考えて調べているときに
「ダブルリミテッド」という言葉に出会った。

ダブルリミテッドとは:
二言語を使用する環境にいるが、両言語共に年相応のレベルに達していない状態ことを指す。(セミリンガルもしくは限定的バイリンガルともいう。)

今回、
夫のタイ駐在に帯同することを決めたときに、
まず頭に浮かんだのは、
子どもたちがダブルリミテッドにならないか。
つまり、
日本語の習得が不十分にならないか。ということであった。

その気持ちは「不安」?

うちの子どもたちは現在6歳と3歳。
まだまだ日本語を吸収している最中である。

タイに来る少し前、
当時5歳の長女が
「なんか変な感じがする」
と話してきたことがあった。

細かな表現は忘れたが
「落ち着かないような、ざわざわするような感じ」
というふうに言っていた気がする。

私はそれに対して、
「それはたぶん〝不安〟だよ。
 タイに行くことを考えると、不安になるんだね。」
と声をかけた。
そうすると、
娘は腑に落ちたような表情になり、
「うん。不安。」と、
その感情に名前がついたことで、
不安を抱えながらも安心したようであった。
そしてその後も時折、
「お母さん、なんか不安な感じがする。」
と話をしてくれるようになった。

そんな娘の様子をみていると、
名前がつかないことで持て余す自分の感情があること。
そして、
名前がつくことで収まりがつくようになること。
それをまざまざと感じることができた。

子どもが泣いているとき、
笑っているとき、
「○○な気持ちだね」
ということを、
大人が言語化することで、
子どもの語彙力も増え、気持ちを表現しやすくなるのだろう。

造語でも良い?

このときは「不安」という言葉に落とし込むことができたが、
たぶん、
「それじゃない気がする」ということも出てくるんじゃないかと思う。

そんなときは、
「じゃあ、どんな気持ちなんだろう?」と、
一緒に言葉探しをしてみても良いのではないだろうか。

出来上がった言葉でなくても良い。
擬音語や擬態語、完全な造語でも良い。

日本語のオノマトペは面白く、
(海外のオノマトペ事情は知らないが)
先ほどの娘の「ざわざわ」もそうだし、
「どきどき」「ぞわぞわ」「わくわく」「ひやひや」
「うきうき」「もやもや」「しょんぼり」
色々な感情をあらわすものが多く存在する。

instagramの投稿用に作った画像。
「怒り」を表すオノマトペだけでもこれだけあるらしい。

そのなかで、
一般的な言葉ではないものの、
私にとって忘れられない言葉がある。

2017年のドラマ「カルテット」のなかで、
満島ひかりが演じるすずめちゃんが度々言っていた、
「みぞみぞする」
「みぞみぞしてきた」

という言葉。

最初は「なんじゃ?みぞみぞするとは」と思っていたが、
あれはきっと、
「みぞみぞ」という言葉でしか表現できないすずめちゃんの感情だったのだろう。

ドラマが終盤にさしかかるにつれて、
視聴者も、「みぞみぞする」感覚がわかってきたのではないだろうか。

万人にわかってもらおうとすると、
造語での感情表現は向かないのかもしれない。
だが、
自分自身が自分自身の感情を把握するためには、
それでも充分なのではないだろうか。

もう6年も前のドラマだという衝撃。

子どもとの対話の時間。

ここまで書いてみて、
私はしっかり子どもたち(特に次女)との対話の時間をとれていたかな?
と不安になってきた。

精神年齢がおそらく実年齢より高めの長女とは、
落ち着いて色々話をすることがあるが、
「この子はまだ動物だね」と耳鼻科医に言われる3歳次女とは
充分に対話できていないような気がする。
(耳鼻科医についても詳しく書きたいところだけれど、
 ひとまず割愛。)

おしゃべりが上手にはなってきたけれど、
まだまだ感情を表現できない、
というか、
そもそもまだあまり感情が分化していないのかもしれない次女とも
気持ちについて色々話そう。

夏休みの私の宿題だ。

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