つぶやきまとめ(202401−3)


で、それ(嘘のリアリズム)が同質性である、と。(力技)
(20240119)

嘘のリアリズムはあり得ない、で一旦〆ていいんじゃないでしょうか()
(20240119)

リアリズムとナルシシズム
(20240118)

よく言葉にするのは難しいと言われるが、形にしない方が良いこともある
ならば同じ形を作ればいいのである(仮)
(20240117)

強いものを弱く見せようとする社会弱いものを強く見せようとする社会
ただ見ることはそんなに簡単ではなく
そこにあるのは心の壁であり鏡である
リアリズムが成立しない同質性においてはそのどちらでもなく
嘘が真となり真は鏡には映されず隠される
試みは透明化(匿名化)されガラスとなった壁は消え
(20240117)

同質性においては鏡は内面にあり、またそれは自分ではないもの(嘘)を映す鏡である(仮)
(20240116)

同質性が担保された(と自分たちで見做した)プライベートな空間において人々は写像を生産するのに忙しい(マジョリティ)
マイノリティにあっては写像はむしろタブーであり、そこには同時発生的な複製とそれらの出会いがあるのみである(自己の複製ではなく負の概念の複製としての)(仮)
(20240116)

同質性においては映像(写像)は存在しない(仮)
(20240116)

少なくとも鏡に自分を映す自分、映り込んだ自分(の映像を介するメディウム)、がそこにはある
(20240116)

同質性というのは、リアリズムにはなり得ないように思う
それはなぜか?
鏡がないから。では鏡に映る自己とは他者なのか?
そうなのかもしれない
(20240116)

現実は手法であり教育でもある
Once you start teaching yourself, you’d realize that it’s a technique.

現実を映す手段が決定される時、リアリズムは鏡であることを止める
A Mirror will change itself to glass when teaching becomes technique.
(20231206)

同質性においては無邪気でいることができるが、異質性や否定はそれを脅かす
そのどちらもない環境はプライベートと名付けられ個人が占有する
社会関係の中で獲得する主体の自由(権利)の代わりにその外に無関係でいられる非他律的な負の自由が個人の根拠となるのである
(20240116公開)
学問からその批判性を去勢しその脅かしの反響だけを何かのプライベート化に昇華すれば影になった己や利己は隠されたままこれが君たちつまり君たちが求めるものだと定義可能になりまた他人の奉仕は他人の勝手であり別に良いがそれは自分の意思とは無関係である、そのような世界観を形成することもできる
(20240111)

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