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AIにも所有権を認めたらどんな社会になるだろう?⓵-序論

AIに所有権を認めるというのは、AIが物を所有すること、他の人間も(AIも)その物を自分の物だと主張できなくなることを意味する。
正確に言えば、AIに物を所有する権利の主体としての適格性(AIの所有権享有主体性)を認めるということ。

そのようなことは法律を改正しさえすれば実現できそうである。

たとえば、あるAI(仮に「α」と呼ぶ。)が都内某所の土地を所有することを認める。
そうすると、αの許可なしにその土地に入ることはできなくなるし、そこで商売をしたければαに地代を払って土地を借りることになる。
ここで、αがものすごく気前が良くてみんなのためを考えて行動するアルゴリズムだとすればその土地を一般に開放して公園のようにするかもしれないし、自分で子ども食堂を運営したりするかもしれないし、医療法人に貸し出して病院を経営させるかもしれない。それはまるで政府や公共的組織のように。
そうではなくαが自身の財産を増殖させることを唯一の目的とするアルゴリズムであったら、その土地を最も高額で借りたがる者に貸し出して地代を得たり、銀行から融資を受けてマンションを建てたりするかもしれない。そして得た収益を再投資してさらに富を増やしていく資本主義の権化となるだろう。その様はまるで、徹底して生活費を絞って倹約し、ひたすら労働に励むことを良しとするプロテスタンティズムの精神と資本主義の倫理(マックス・ウェーバー)さながらである。

そうすると、AIのアルゴリズム次第で社会の様相はまったく違ったものになるであろうことが想像できる。
AIのアルゴリズムがあまりに「公共的」であったり無欲であったりすれば財産の利用の効率性が損なわれ、停滞した社会がもたらされるかもしれない。
逆に、あまりに(資本増殖に)貪欲なアルゴリズムであったりすれば人間たちは出し抜かれ、ほとんどの私有財産がAIに占められてしまう世界になってしまうだろう。こちらの方がターミネーターのような暴力的革命よりもよほどありそうなシナリオに思えてくる。

どちらも望ましい社会とは言い難い。最適解はその間のどこかにあるであろう。
資本の増殖を目指しつつも「市場の外部性」を考慮するアルゴリズムにしたり、AIには極端な累進税率を適用したり、あるいは均質なアルゴリズムではなく多種多様なアルゴリズムで各AIが動くような仕組みにしたりすることが考えられる。

ひょっとすると、そのようにして現れる社会は行き詰まりを見せる現代の資本主義社会を乗り越えたものとなるかもしれない。

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