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シンガポールで確信した話

下書き

 48歳でタヒのうと決めていました。
いや、まだそういう気持ちでいます。
47歳になって思いがけない異動があり、消えそうだった仕事に対する炎は完全に消えました。これから、何して生きようと毎日が葛藤です。
タヒを覚悟して生活していると大胆になれるものです。
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ここまでが2022/10/31(月)の下書きです。
このnoteはボクの初投稿になる予定でした。

シンガポールへ

マリーナベイでカウントダウン

 こんな気持ちの中、2022/12/22(木)0945の福岡国際空港発、チャンギ国際空港行きのシンガポール航空で15日間の一人旅へ出発しました。11-12月は「日本へはもう帰らない」「必ず希望を持ち帰る」そんな相反する気持ちに揺れていました。

 ボクにとっては人生を賭けた旅でした。【自分を打ち破る】【新しい自分に出会う】、いや違う、どう伝えたら良いのでしょうか。どうしても分からないのです。一世一代の旅が終わって、しばらく経った今でもうまく旅の目的を表現できません。この文章を書き進める中で、きっと何か消化や発見があると信じて言葉を選んでいる自分がいます。

3つの決め事

 話をシンガポールに戻しましょう。この旅で決めていたことが3つあります。

予定を立てない
配信(=アウトプット)する
新しい友だちに会う

予定を立てない

 これまでのボクの旅は、超絶計画的でした。「真面目」「厳しい」「責任感」「向上心」「妥協を許さない」「完璧主義」などの言葉で周囲が語るボクの気質の通りだったと思います。
 こんなボクにとって、旅の予定を立てないことは少し覚悟が必要でしたが、終わってみれば、効率の良い挑戦でした。日ごろのボクはGoogleカレンダーやタスク管理に行動や気持ちを縛られて生きていて、このことを窮屈に感じる反面、その窮屈さに安心感や居心地の良さを感じてしまっています。これを壊して、予定を立てなかったことは大正解で、旅の自由度と充実感が格段に上がりました。
 実はガイド本を買い、ある程度目を通し、バッグにまで入れていたのですが、出発当日になって、自宅に置いていきました。わざわざお金を払ってまで準備したガイド本を、本来使うべき現地には持って行かずに意図して置いていく、それくらい思い切る必要があったのだと知って欲しいです。

配信(=アウトプット)する

 ボクの8年間のうつ病の寛解(詳しくは→雪の日に想った2つの話)に一助を担った森田療法に「外相整えば内相自ずから熟す」という言葉があります。これは気持ちはどうであれ、外見を整えることで、自然に気持ちも前向きに変化していく、という意味です。すなわち、健康的な生活をしていけば、こころも健康になれる、ということです。
 ボクは「目的の為の手段」という考えが好きで多用します。そして、ボクの解釈では「アウトプット(目的)の為のインプット(手段)」と言い換えることができます。
 この旅の目的は何なのか、出発前のボクにはハッキリとは分かっていません。そこでボクはアウトプットを重視しました。先ほどと少し矛盾することを書きますが、配信=アウトプットをすることは航空券を予約した2022/09/14から予定していました。近県へのお出かけや散歩の際にInstagramやLINEのLiveをするなど、かなり計画的に練習しました。そしてこの旅でボクは、何処で何をどう感じているのか、必要と思われる以上の頻度と長さでフォロワーが減るくらいに配信しました。
 それは狙い通りでした。配信を重ねるごとに、思考や気持ちが整理されます。時には感情が高ぶり、ブギスの大通りを歩きながら、おいおいと涙を流すこともありました。ボクは何の為に生まれ、育ち、苦しみ、なぜ今ここにいて、どこへ行くのか。アウトプットを通じて、少しずつ見えてきそうでした。

新しい友だちに会う

 台湾の親友である呂さんに友人を紹介してとお願いし、紹介されたのがJasperさんです。大柄でかっぷくの良い、いかにも人の好さそうな中国系シンガポール人の彼は35歳にして5つの会社を経営、シンガポール独特の英語を話します。とても頭がよく、謙虚で親切かつユーモアを持ちながら、自分の信念にはとても厳しい、行動力のある人物です。
 台湾熱帯魚界では「呂帝王」と呼ばれる呂さんの友人がたった1人な訳はありません。後から分かることですが、多くのシンガポール人の中から、Jasperさんを紹介してくれたそうです。
 ボクはJasperさんと濃密な2日間を過ごし、彼の言葉や行動から多くの衝撃を受けます。特に残った言葉やフレーズは「」「与える」「信頼する」「俺たちはEagleだ」です。旅の前半に彼はこれらの言葉をボクに実際に、そして余りにも直接的に体感させる行動を取るのです。それは、日本、いや世界中を探しても中々できない、そして正に信じられない経験でした。(Jasperさんについては別にnoteで残しますし、必ずまた彼に会いに行きます。)

Jasperさんはポルシェ好き

自己受容

 シンガポールへ旅立つ前は、48歳で人生をどう終わらせるかばかり考えていました。自分の人生は全く上手くいっていないと感じていました。47年かけてこびり付いた思考や行動の多くを否定ばかりしていました。
 ボクは自己肯定感という言葉が嫌いですし、使いません。自分自身はできていないのですが、自己肯定感より自己受容という言葉が好きで、より適切な表現だと思っています。
 自己受容の2週間。日本人であること、男性であること、そしてボクがボク自身であること。そして、自信を取り戻しました。とっくに詰んでると思っていた人生に可能性を感じました。これからは、自分を囲んでいる多くの人の為に、惜しまず努力しようと思います。(※うつが再発しない程度に!)

まとめ

 昔、カウンセラーから「精神科を受診したら、その病気の半分は治っている」という例え話を聞いたことがあります。精神疾患はとても辛い病気で本人はもちろん、周囲もどうしたらいいか分からない事が多いです。だからと言って、何もせずに腫れ物に触るように静観し、本人は気分や症状の善し悪しに一喜一憂するようでは改善されません。治療に向けてアクションを起こした時点で、寛解に向かう大きな一歩を踏み出しているという話です。
 今日(2023年1月27日)で48歳になりました。現在のボクに希死念慮はほぼなくなりました。ゼロかと言われると胸を張って<YES>という自信はありません。
 今回の旅を計画したその時点で、ボクの中では大きな一歩を踏み出せていたのかも知れません。

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