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推しの戦略(「中丸君の楽しい時間4」を観ました)

子どもの頃から、主人公、戦隊モノやアイドルでいう「センター」が苦手だった。
自我が芽生えたときにはきっとみんな主人公に憧れ、自分が主人公になりきり、そこから成長するに従い、周りにも目がいくようになり、だいたいが「自分はお姫様じゃない」「ヒーローじゃない」と悟るものだろう。

しかし、私は遡っても遡っても、主人公を「いいな」と思ったことがあまりない。
アンパンマンだったらカレーパンマン>>>しょくぱんまん、アンパンマンだし、セーラームーンだったらヴィーナス(とアルテミス)≧ジュピター>>>>そのほかの人たち(時代が下るとサターンが最推し)。
そして、自分自身も「センターじゃないな」と思って生きてきた。
幼稚園のお遊戯会でも、みんながなりたがる「主人公の女の子役」を後目に、一人だけ森のフクロウ役に手を挙げた。どんな話か忘れたけど。
けっして、いじけた気持ちだけでそう思ってきたわけではない。けれど、どこかで「諦め」のようなものを感じていたことも事実だ。主人公やセンターになれる人と、なれない人がいるよな、と。

さて、なぜこんな自分語りをしたのかというと。

20年数前から断続的にジャニーズ事務所のファンをやっている。
そういうと、ものすごくイケメン好きに思われそうだが、単推し傾向が強いことと、私の推す人間は、「センター」ではない。

グループになれば、真ん中に立つ人と、そうではない人が生まれる。
そして、真ん中の人は、天性のアイドルだ。
「自分は、どうやってもあちら側(センターや大スターを指す)にはいけない」
「アイドルに生まれつく人と、そうではない人がいる」
アイドルの内側にいる、私の推したちが語ってきたこと。アイドルグループにいる時点で主人公気質あるんだろうが、本人たちが言っているので仕方ない。

では、「あちら側」ではないアイドルたちは、アイドルではないのか?
アイドルとしての価値(というものがあるのなら、)は低いのか?

本人たちもいろいろな葛藤があるのだろうと推察する。
ただし、自分を冷静に分析し、持てる能力は何なのか、必要とされる場所はどこなのか、必要なものは何なのか、といった戦略を立て、ひそかにしっかりと実行していく。
センターの適任者を信頼して任せつつ「じゃあ、自分は自分でやりたいことをやってやろう」という軸がブレない。
結果的に、それはグループに厚みや深みをもたらす。

そん「センターじゃない」者たちがひそかに貯めた経験値は、グループ活動以外のソロにおいて発火する。

そのバチバチな現場の真骨頂、1人舞台を観劇に行ってきた。
「中丸君の楽しい時間4」―KAT-TUNの中丸雄一の独演。

おそらく、これを観ると一般的な「KAT-TUN」=あー、やんちゃで問題の多いグループね、亀梨くん以外誰が残ってる?のイメージは吹っ飛ぶだろう。
詳細は割愛するが、2時間近く、ありとあらゆる手を使って、中丸雄一という人間のユーモアと狂気と情熱をゆる~く見せつけられることになる。そして見終わって改めて、映像やストーリーやら、すべてを自分で考えたというのに驚愕する。

先日、ゴットタンでアンガールズ田中卓志が「芸能界で戦っていくには、何本も刀を持つことが重要」と述べていたが、中丸雄一は一体何本の刀を持っているのだろう。ボイパ、イラスト、フルーツカット、映像、ゲーム、コント、コメント力、そしてジャニーズの素養…刀を集め、人知れず鍛え、何食わぬ顔でサラリと振るう―そして、普段、刀なんて持っていない、といわんばかりの猫背姿で居ることが、キャラクターを際立たせる。

本人たちが葛藤を背負いつつも、自由に能力を伸ばし、それでもしっかりとアイドルを続けてくれていることに、「主人公じゃないな」と感じる私のような者は非常に勇気づけられる。と、勝手に思っている。

配信あるのでよかったら見てください!!(ストッキングを履かせて脱がせるタイムアウトに挑戦したり、デスストランディングや家事ヤロウのパロしたり、レーザーやプロジェクションマッピングを使ったパフォーマンスをしているよ)

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