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祖父の自伝、編者あとがき

祖父が逝去した。97歳だった。

祖父は偉大であり、孫の私にとっては少し得体の知れぬ人だった。
闊達で、筋トレを欠かさず、本をよく読んでいた。
先祖から続く田舎の大きな家を背負い、家業を背負い、村や、地域までも負っていたように思う。最期まで人の手を煩わせず、ほぼ老衰という形でこの世を去った。

祖父の棺の中、頭の横には「我が人生」と書かれた冊子が置かれていた。
私はその祖父の自伝を編集し、印刷を手配し、納品した。1年半前、まだ祖父は元気だった。

祖父の自伝には、幼少期(大正時代!)からはじまり、師範学校に通い教職を得て、大戦後に家業を興し、それを拡大。地域に影響力を及ぼし、さまざまな要職を得るまでが書かれている。
編集とは言っても、足りない字を補い、読みやすい表現にし、体裁を整えただけではあるが、作業を通し、祖父の人生を少しだけ追体験し、以前よりも親しみを感じられたように思う。それらについて語り合える機会が持てなかったことが残念でならない。

自伝には、書かれていないこともたくさんあった。側から見ると重要に思えることも、たくさん欠けていた。
例えば妻の死、子の死。
それは単に忘れていたのではなく、意図して書かなかったようだった。
書かれないことで、少し不満に思ったり、冷たい人間だと感じたり、自分の成功ばかりを書いてつまらない、と感じた読者もいただろう。

「書かれなかった」のは、祖父の生き方がそうだったからだと思う。
弱さを見せず、常に自分を律し、少し冷酷に思われても成すべきことを明確にして進む。「書かれなかった」ことは、その出来事が祖父の人生にとって重要ではなかったから、ではないと、勝手ながら祖父に代わって伝えたいと思う。

祖父のことを思い出すと、しっかりと伸ばした背筋が印象深い。
私たちにとって祖父は、大黒柱、というよりも、そんな風に背筋が少し伸びるような存在だったような気がする。

祖父が私にしてくれたことの少しも恩返しはできなかったが、祖父に少し良きことを返せたならと思い、自伝のあとがきとしたい。

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