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【小説】 ラッキー・ガイ

 山田耕助は5時半に起床した。今日は友人Aの結婚式である。山田はまだ結婚式と縁がない。独身という意味でもそうだが、友人知人の結婚式に呼ばれたためしがなかった。親類縁者の葬式にはたくさん出たが。

 式場は東京のインペリアルホテルだという。山田も名前くらいは知っている国内最高クラスのホテルである。
 
 〈こういう機会でもなければ縁がないところだよな〉
 山田は少年のようにワクワクしている。今朝早く目覚めたのもその表れである。礼服に着替えると、トーストを牛乳で流し込んでさっそく家を出た。最寄りの椿ヶ丘駅行きのバスを停留所で待つ。定刻を過ぎてもバスは来ない。早朝で道が空いているのにおかしい。15分が経過した。

 〈ええい、これ以上は待ちたくない〉
 山田は家に取って返し自転車を持ち出した。椿ヶ丘駅に向かう。

 「こんなことなら最初からチャリにすればよかった」
 山田はブツブツ言いながら自転車を飛ばす。駅まであと約100メートルのところで急に後輪が重くなった。パンクである。後輪が大きく滑って山田は自転車ごと倒れこむ。

 そこへ幅の広いRV四輪駆動車がクラクションを鳴らして突っ込んできた。山田はとっさに身体を歩道側へゴロゴロと回転させた。間一髪避けたが自転車は四駆に轢かれてメインフレームがあらぬ方向に曲がった。
 
 「すみません、大丈夫ですか?」
 男が車から降りて声をかけてきた。
 「なんとか大丈夫ですがね・・・・あーっ自転車が!」
 「ほんとうに申し訳ありません。自転車は弁償します。念のため病院までおくりましょうか?」
 男は心底すまなそうに言う。山田は腕時計を確かめる。7時を示していた。
 「いや、急いでいますので。けがはないので病院はけっこうです」
 弁償のために男と連絡先を交換して山田はすぐに駅まで走り出した。

 上りのホームに入ると間もなく構内にアナウンスが流れた。

 「上り線東京行き電車は、ただいま前の駅にて線路に鹿が入り込んだため  停車しております。お急ぎのところ恐れ入りますが、対処がすむまでお待ちください」
 
 「鹿だって!」
 山田は耳を疑った。いったいどこから来たというのだろう。今度は駅に足止めである。40分遅れで列車は構内に入ってきた。腕時計を見ると8時35分である。
 
 〈10時開始だからぎりぎり間に合うかな〉
 山田を乗せた東京行き列車は走り始めた。立て続けに身体を酷使することが起きたせいか山田は席で船をこぎはじめた。目的地まではまだ一時間以上かかる。
 
 「キキーッ」
 電車が急ブレーキをかけている。つり革につかまっている乗客のうち数名が進行方向に倒れこむ。山田は目を覚ました。

 〈いったい何が起きたんだ〉

 「乗客の皆様おけがはないでしょうか。ただいま脱線事故が発生しました」
 車掌の呼びかけがマイクで流れてくる。
 

 〈信じられん。今度は脱線だって〉
 確かに車両が右側に傾いている。幸い大きなけが人はこの車両には見られない。

 救急車と消防車が来るからそのまま車内にいてほしいと車掌が呼びかけてくる。山田は腕時計を確認すると9時50分を示している。山田は車両内の右端の扉近くに手動開閉器を認めた。山田は立ち上がると開閉器を動かして扉を開けて社外に降りた。

 〈急がねば〉
 線路から道路に出ると走りながらタクシーを探した。流してきたタクシーを止めるとインペリアルホテルまでたのむと告げる。

 「お客さん、すごいかっこうしてるね」
 自分の身をよく見るとズボンの右膝は破れ、背広の左ひじは穴があいていた。
 「朝からサバイバルみたいな目にあってるんですよ。運転手さんお願いです。急いでください。結婚式がもうはじまっています」
 腕時計は12時50分を指している。

 「それじゃあ、ちょっと本気のドライビング見せちゃおうかな」
 運転手はアクセルを踏み込んだ。幹線道路を外れ裏道をかなりのスピードで飛ばす。山田はしだいに生きた心地がしなくなってきた。シートベルトを閉める。裏道を抜けて再び幹線道路に戻る。S字カーブが迫ってきた。
 
 「ハッハー、俺のテクニック味わってみなさいよ!」
 車はさほど減速せずにカーブに突っ込んでいく。キュワーッ!曲がり切れず車はスリップして、ガードレールに衝突した。車は大破した。山田は幸いシートベルトのおかげで大きなけがは負わずに済んだ。
 
 「運転手さん、無事かい!?」
 前席に声をかける。
 「すみませんね。調子にのりすぎちまいました」
 運転手も精神的なショックのほうがおおきいようだ。
 
 山田はスマートフォンを取り出すと救急車を呼んだ。駆け付けた救急救命士に自分は大丈夫なのでと告げて、再び式場に向けて走り出した。もう日が傾いている。土地勘がないなかスマートフォンに映る地図アプリをチラチラ見ながら走る。茶色の大きなビルディングが見えてきた。
 
 「あれだ!」
 山田は走る。もう息があがっている。足は動く。走る。まだ走れる。ようやくホテルの正門にたどり着いた。もう夕闇がおりている。ドアマンが少々驚いたような表情で山田を見る。

 「お客様、おけがをされているのではないですか?」
 ドアマンが声をかけてきたので自身を見ると、背広の左袖がちぎれてズボンの右足も膝から下がなかった。われながら最高級のホテルに不釣り合いすぎる姿だと恥ずかしくなってきた。家を出たときはこんな姿ではなかったとドアマンに釈明して、友人Aの結婚式について尋ねた。

 「もう終了しています。新郎新婦は新婚旅行に旅立たれました」
 間に合わなかった。山田は両肩を落としうなだれる姿勢になった。

 「新郎さまよりお預かりしているものがあります」
 ドアマンは細長いつつみを取り出して、山田にわたす。
 「何か事情あってのことだろうからと私にお預けになりました。ご自身でお客様にわたそうとされていたようです」

 山田は包装紙をといて箱を開けた。万年筆だった。黒いモンブランの万年筆である。山田は手に取るとなんだか報われたような気分にになった。

 〈あれだけの災難にあいながら目的地まで大きなけがもせずたどり着いたんだ。わたしは運がいい〉

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