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【短編小説】 父のGT-R

 わが家のガレージに一台の車がある。スカイラインGT-R、R32型。私が中学生のころに父が買い求めたスポーツカーである。後席の居住性は飛行機のエコノミークラス並みなので、たいてい後ろに乗せられていた祖母がよくこぼしていた。この車で北海道に家族4人で旅行に行ったのだから、後ろに乗せられた母と祖母はおよそ快適とは縁遠かったはずである。

 90年代当時からファミリーカーはあったが、父はそういうものには目もくれなかった。一家の一台はGT-Rという近所や私の学級でも稀な家庭だった。学校と言えば中学生の京都修学旅行の際のことである。出発当日は最寄り駅まで各々家族に送ってもらった。私が父の運転するGT-Rで駅に乗り付けると同級生による黒山の人だかりができた。

 「すげぇ、GT-Rだ」

 降りるなりそういう声が耳に入った。先生方も生徒と一緒に見に来たものである。そのままカメラ担当の先生により、GT-Rの前で記念撮影会になった。

  ”羊の皮をかぶった狼”

 父はかつてスカイラインがそう呼ばれた時のフレーズを好んでいた。64年当時のスカイラインGTがレースでポルシェ904カレラGTSを抜いたことに起因する。わが家のR32型GT-Rは精悍なスタイルで見ようによっては獰猛な面構えをしているが、64年のスカイラインはおとなしい箱型の外見だった。

 「人間も中身は狼のようでありたいものだ」と父は言っていたが、黙って聞いていた私は穴があれば入りたいくらいに恥ずかしかった。まあ、父はどっぷりとGT-Rにはまっていた。

 父はほんとうに車を大事にした。休日になるとよく洗車をして、時々はワックスがけをしたのでいつ見てもGT-Rはピカピカだった。とまった蠅が足をすべらすほどに磨き上げていた。洗車機には決してかけなかった。ボディに細かい傷がつくからというのが理由である。

 走りも無茶はしなかった。車に負担がかかることはできるだけ避けたかったのだろう。それでも高速道路では速度を上げて、エンジンの咆哮を楽しみ4WDが駆動する様子を楽しんだ。

 私はというと父ほど車に燃えることはなかった。というより新車を買えるだけの計画性を持って今まで生きてこなかったと言っていい。雇われるところすべてが安月給の会社ばかりというのもあるが・・・・・

 首になったこともある。勤めていた会社が倒産したこともある。不運といえばそうかもしれない。今まで一度も車を所有したことがない知人も多い。時代のせいにしようと思えば確かにできる。私自身も中古車にしか乗ったことがない。だがはたして生きる背景のせいだけか?

 今もR32型GT-Rはわが家にある。父は4年前に他界するまでこの車に乗り続けた。今でもボディはピカピカでエンジンも快調である。父が亡き後は図らずもわが愛車になった。父が保ったコンディションを維持することが最低限の使命だと考えている。

 いつの間にか私自身も車でやんちゃをしたい年齢ではなくなっていたが、GT-Rは歳月を重ねてますます威風堂々としている。この車にふさわしい男になりたいと最近思うようになった。

 久々にダッシュボードを開いてメンテナンスノートを取り出す。一枚のはがきのようなものがシートに落ちた。手に取るとそれは修学旅行出発前に仲間と写したあの写真だった。

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